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日蓮大聖人・池田大作

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各部合同協議会 幸福に! そのために勇気を!

2004.5.11 スピーチ(2004.1〜)(池田大作全集第96巻)

前後
11  マリノフ博士は強調しておられる。
 「仏法が目指すように、人類の真の勝利の証は、すべての人々が苦悩から解放されることにある。しかし、苦悩からの解放といっても、それは苦悩を避けて通ることを意味するのではありません。それを乗り越えることです」
 「池田SGI会長が教えられているように、人間には自らの限界を乗り越えていく力が備わっています」(「聖教新聞」二〇〇三年十一月五日付)
 だから、自分で自分の可能性を狭めてはいけない。
 苦労を避けて成長はない。
 個人も、そして団体も、大きな困難を乗り越えてこそ、偉大な勝利の歴史を築くことができるのである。
 博士は、こうも語っておられた。
 「私たちは、他人を助けようとする力が増せば増すほど、それだけ強い友情に満ちた友人を見つけることができます」(同二〇〇三年二月十八日付)
 創価の友情と結合が、生き生きと拡大しているゆえんも、ここにある。
 フランスの思想家モンテーニュは記している。
 「少しも他人のために生きない人は、ほとんど自分のためにも生きない人である」(『エセー』6,原二郎訳、岩波書店)
 自分のためだけに生きる人生は、最後は、さびしい。深い喜びは、つかめないであろう。
 御書には「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」と仰せである。
 人のために行動することで、自身が豊かになる。大きく成長できる。
 友のために祈り、法のために歩き、正義を語りぬいた事実は、厳然たる功徳となって自身に返ってくるのである。
12  宝はわが胸中に
 大聖人は女性の門下に、こう仰せである。
 「わが己心の妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつって、わが己心の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れられるところを仏というのである。
 たとえば籠の中の鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれて集まるようなものである。空を飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥も出ようとするようなものである。
 口に妙法を呼びたてまつれば、わが身の仏性も呼ばれて、必ず、顕れる。梵天や帝釈の仏性は、呼ばれてわれらを守ってくださる。仏・菩薩の仏性は、呼ばれてお喜びになる」(御書557㌻、通解)
 題目が根本である。
 題目で、何ものにもゆるがぬ「仏の生命」を開いていくことができる。
 スイスの思想家ヒルティは記した。
 「すべての真の財宝は、われわれの力の中にあるものにあるのだから、嫉妬や羨望はおよそ意味をなさない」(『幸福論』1、『ヒルティ著作集』1、氷上英廣訳、白水社)
 他人と比べるのではない。大切なのは自分自身の「心」を磨いていくことだ。わが生命を豊かに光り輝かせていくことだ。
 どうか「題目第一」、そして「健康第一」で、希望と歓喜に燃えて、人類が夢に見た「生命の解放」そして「生命の勝利」に向かい、快活に大連帯を広げてまいりたい。
 大教育者ペスタロッチは、若き日の論文の中で、″偉大にして崇高なる事業は、必ず卑劣な誹謗にあう″と達観しながら、こう叫んだ。
 ″真実と道義の友よ、勇気を持て!″″不幸になるのは、かえって誹謗した張本人だ。君たちは、誹謗されることによって、むしろ栄光を勝ち得るであろう″(「アギス」佐藤守訳『ペスタロッチー全集』1所収、平凡社。参照)
 この言葉を皆さま方に贈り、記念のスピーチとさせていただきたい。
 きょうは、本当にありがとう! お元気で!
 (東京・新宿区内)

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