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日蓮大聖人・池田大作

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各部・海外代表協議会 未来のために新しい「友情の道」を開け

2003.12.5 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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9  わが胸に永遠の幸福の大宮殿を
 大聖人は、はるばると真心の御供養を送り届けた、女性の弟子・日女御前の信心を讃えて、こう仰せである。
 「このような尊い御本尊を供養申し上げる女性は、今世では幸福を招き寄せ、後生には、この御本尊が左右前後に立ち添って、あたかも闇夜に明るい照明を得たように、また険しい山道で強力(荷を担ぎ、道案内してくれる人)を得たように、あちらへまわり、ここに寄り添って、日女御前の周りを取り囲んで必ず守ってくださるでしょう」(御書1244㌻、通解)
 広宣流布のために尽くしゆかれる皆さま方は、現在も、そして未来も、永遠に、必ず、厳然と守護される。これが、御本仏の絶対のお約束である。
 そして、そのために、大事な要諦として、大聖人が誡められた一点が、「悪知識を捨てて善友に親近せよ」である。
 成仏を妨げ、広宣流布を阻む悪知識は、徹底して破折していくことである。そして、善き同志の和合の団結を最大に守り、強めていくことである。
 さらに続けて、大聖人は仰せである。
 「この御本尊は、まったく、よそに求めてはなりません。ただ、われら衆生が法華経を受持し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのです。これを『九識心王真如の都」というのです」(同㌻、通解)
 幾度も拝してきた、有名なび御聖訓である。
 妙法を唱え、広布に走る皆さま方自身の生命こそが、最も尊極な存在なのである。わが胸中にある、この仏の生命の都を、広々と、悠々と開き、輝きわたらせていくことである。
 大聖人は、「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」と明快に結論されている。
 ゆえに、信心強き人こそ、最も強き生命の大王者である。その大宮殿の境涯には、だれ人もかなわない。何ものも、壊すことはできない。
 そして、大聖人は、わかりやすく、こう仰せである。
 「(中国の李広将軍が放った)矢が石に立ったというのも、(石を父親を殺した虎と思い)父親の仇と信じぬいた一念の強さゆえである。まして、仏法においては、信が大事なのはなおさらのことである」(御書1245㌻、通解)
 勇気ある信心の一念が、どれほど無量無辺の力を秘めていることか。この大確信をもって、前進していくことである。
10  「三世の幸福」は仏法しかない
 不幸な人を幸せにしていく――これが仏法である。妙法である。だからこそ、私たちは、あえて悩に沈む人々のいるところに、願って生まれてくるのである。
 一人の人を根本から救う。これほど、すごいことはない。偉大なことはない。
 そして、ともどもに「衆生所遊楽」――最高に幸福な人生を楽しんでいけるのである。
 大聖人は「松野殿御返事」で仰せである。
 「退転することなく修行して、最後臨終の時を待ってごらんなさい。妙覚の山に走り登って、四方をさっと見るならば、なんとすばらしいことであろうか、法界は寂光土で、瑠璃をもって地面とし、金の縄をもって八つの道の境界をつくり、天より四種の花が降ってきて、空に音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。われらもその数の中に列なって、遊戯し楽しむべきことは、もう間近である」(御書1386㌻、通解)
 三世にわたる永遠の幸福を築く道は、仏法しかない。信心を貫き、広宣流布のために戦いぬいた人が、偉大な幸福境涯を開くことは、絶対に間違いないのである。
 そして、死という厳粛な事実に臨む時、その境涯は燦然と輝きを放つ。
 生死は不二である。譬えるなら、人間が昼間は起きていて、夜に寝るようなものだ。
 偉大な人生を生きた人は、安らかな、夕日が燃え輝くような荘厳な死を迎えることができるのである。
11  ″公民権運動のおかげでアメリカの思想が変わった″
 きょうは、私たちの友人であるローザ・パークスさん(二〇〇五年十月逝去)らが立ち上がり、有名な「バス・ボイコット運動」を開始した日でもある。(一九五五年十二月五日)
 人権闘争の火ぶたが切られた、歴史的な日である。
 パークスさんは、回想されていた。
 「悪いことから、良いことが生まれるのです。私が逮捕されたことがきっかけとなり、モンゴメリー・バス・ポイコット運動が開始され、現在、公民権運動のうねりがもたらされました。そして、その運動のおかげで、アメリカの思想が変わったのです」(『ローザ・パークスの青春対話』高橋朋子訳、潮出版社)
 この運動の指揮をとったのが、若きキング博士である。
 この十一月二十四日から、インドの国立ムンバイ大学で「ガンジー・キング・イケダ展」が開催されている。(=十二月六日閉幕)
 私は、九四年一月、キング博士の盟友である、ハーディング博士ご夫妻とお会いした。この折、キング博士が体現していた「指導者としてのあり方」について、語ってくださった。
 それは、「親切であった」「いばらなかった」「ユーモアがあった」「皆の意見をよく聞いた」「勇気があった」「自分が矢面に立った」などである。すべての指導者が、心すべき点といってよい。
 ともあれ、「悪を無視することは、その共犯者になることなのである」(『黒人の進む道』猿谷要訳、サイマル出版会)とは、キング博士の渾身の叫びであった。
 悪とは差別である。人間性を踏みにじる偏見や無理解である。博士は、それらは執拗な抵抗を示すがゆえに、打ち破るには「不断の、不屈の努力による以外にない」(リローン・ベネット『マーティン・ルーサー・キング』中村妙子訳、新教出版社)と訴え続けた。
 これが、正義が勝ち続けるための、歴史の厳しい原則である。
12  「あなたも平和の創出者になれる」
 現在、「平和の文化の母」ボールデイング博士と、対話の連載を進めている。
 博士は、学会の女性の草の根の運動に、最大の信頼を寄せておられる。
 「あなたも『ピースメーカー(仲裁者=平和の創出者)』になれるのです」――多くの女性たちに対する博士のメッセージである。
 「平和の創出者」といえば、私は、民衆の大詩人ホイットマンの美しい追想を思い出す。
 彼は、名著『民主主義の展望』の中で、みずからの母から聞いた「平和の創出者」を紹介している。
 八十歳に近い、その女性は、農場で生活していた。とても明るい性格で、物事の道理をよくわきまえ、近隣を心から大切にし、とくに若い女性から慕われていた。彼女自身は、十分な教育を受けられなかった。しかし、人間として、すばらしい威厳と魅力に輝いていたのである。
 近所で、家庭のいざこぎや、面倒な問題が起こるたびに、地域の判事となり、相談人となり、世話人となり、調停者となって献身した。彼女は、地域で「ピースメーカー」と呼ばれ、深く信頼され、敬愛されていたのである。(『民主主義の展望』佐渡谷重信訳、講談社、参照)
 それぞれの使命の国土で、最高の地域友好、近隣友好に励んでおられる「ピースメーカー」こそ、わが創価の婦人部、女子部の皆さま方である。
 国際宗教社会学会元会長のドブラーレ博士も最大に讃嘆しておられた。
 「創価学会のメンバーは、隣人への深い尊敬を行動で表し、普遍的な慈悲である菩薩の最高の徳を実践している」(「聖教新聞」一九九八年十二月二十八日付)と。
 明年(二〇〇四年)一月を中心に、全国津々浦々で、婦人部の皆さま方の総会が、グループ単位で行われる。大成功を、妻とともにお祈りしたい。
 私が対談した、アメリカの女性の未来学者ヘンダーソン博士は語っておられた。
 「草の根の運動こそが、本来、すべてを動かしていく主役なのです」(『地球対談 働く女性の世紀へ』主婦の友社)
 全世界の創価の女性のスクラムの、爽やかな勝利の前進を心より祈り、私のスピーチとしたい。
 お体を大切に! 風邪をひかれませんように!
 強き祈りで生命力をわきいだし、「健康第!」で、価値ある前進の日々であっていただきたい。
 (東京・信濃文化センター)

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