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日蓮大聖人・池田大作

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台湾・北海道・ドクター部合同協議会 旭日の生命力で勝て!

2003.10.4 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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14  社会に貢献してこそ健康に
 対談集では、「健康」の定義も論じあった。
 ある定義によれば、健康とは「肉体的に、情緒的に、精神的に、社会的に、環境に対応していく持続能力」とされる。
 すなわち健康とは、たんに「病気でない」という消極的な状態をいうのではない。生き生きと、ダイナミックに環境に働きかける生命の躍動のなかに健康の内実があると捉えるのである。
 「幸福の第一条件は健康である。健康のためには、活動を第一とする。活動は価値創造(創価)の活動でなければならない」とは、牧口先生の達見であった。
 戸田先生は言われた。
 「人材を輩出するには、忙しいことが大事だ。そうすれば組織が若返る。そのなかで人材が養成されるのだ」
 広宣流布へ戦えば、健康になる。健康になるための活動なのである。
 イギリスの歴史家トインビー博士は、「挑戦」に「応戦」するなかで文明が成長していくことを示された。
 一次元から論じれば、「健康」とは、人間や社会の諸問題に立ち向かう「応戦」の力が発揮された状態と言えよう。
 私たちが進める立正安国の広宣流布の闘争は、「人間の健康力」「社会の健康力」「文明の健康力」を強めていく運動なのである。
15  日蓮大聖人の仏法は「妙の三義」を説く。「開く」義。「具足・円満」の義。「蘇生」の義。これが生命の特質であり、仏の特質にほかならない。
 それを敷衍すれば、「蘇生」とは身体がつねに新しい局面に対応する発動性・創造性を備えていることに通じよう。
 「具足・円満」は身体をダイナミックに調和させる全体性・統合性の働き、さらに「開く」とは、生命に潜在的にそなわる力が開かれ、環境に働きかける能動性を発揮していくことに通ずる。
 この生命の本然の可能性を解き明かしたのが妙法である。その可能性を最高最大に発揮し、開いていく方途こそ御本尊への唱題であり、学会活動なのである。
 「生命力の弱い者は、強いものに負ける」とは戸田先生の指導であった。私たちは、強き信心で日々、生命力を満々とたぎらせて前進したい。
16  広布に生きる福徳は永遠
 法華経の薬王品には、師匠(仏)と法華経の恩に報いるために、みずからの生命を捧げる薬王菩薩の闘争がつづられている。
 戸田先生は、妙法のために戦い、牢獄で殉教された牧口先生を偲び、こう言われていた。
 「先生は、法華経のために身命をなげうったお方である、法華経に命を捧げた、ご難の見本である。先生の死こそ、薬王菩薩の供養でなくて、なんの供養でありましょう」(『戸田城聖全集』1)
 これが、戸田先生の大確信であった。この崇高な師弟の精神に連なる私たちであることを、忘れてはならない。
 薬王品にはまた、妙法を受持し、広布に生きぬく功徳が説かれている。
 「福徳は、無量無辺である。それは人も焼くことができず、水も流し去ることができない。汝の功徳は、千の仏が、ともに説かれても、説き尽くしてしまうことはできない」「百千という、もろもろの仏は、神通力をもって、ともに汝を守護してくださる」(法華経600㌻、通解)
 法華経の行者を、諸仏・諸天は必ず守る。広布に生きぬく皆さまの福運は無量であり、その福徳は永遠である。
 薬王品の釈尊の言葉を、大聖人は何度も引いておられる。「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提えんぶだいに広宣流布して断絶せしむること無けん」との有名な文である。
 この経文のとおりに、日蓮大聖人のご遺命のままに、末法万年尽未来際の広宣流布のために戦っている、ただ一つの団体が創価学会である。
 広布を担う皆さまは、この地球上で最も尊貴な指導者である。これを自覚するならば、喜びと力は倍増する。
 仏法では、この世界は「娑婆世界」であると説く。苦悩が充満した「耐える世界」である。
 その中で広宣流布のために戦う福徳は子孫末代をも包む。これが仏法である。幸福になる真髄の道はこれしかない。
 功徳は、現実に目に見える場合もある。すぐには目に見えない場合もある。しかし「冥益」は厳然である。
 戸田先生は「学会において最前線が動いたならば、本部がピリッと感ずるようでなければならない」と厳しかった。
 どうすれば、皆がいちばん力を発揮できるか。やりやすくなるか。どうすれば、苦難に挑み戦う友に、勇気と希望を贈っていけるか――。そこに心を砕き、真鋼に祈り、電光石火で手を打つのが、リーダーの責務である。
 この一点を確認しあって、私のスピーチを結びたい。
 (東京・信濃文化センター)

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