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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表協議会 広布の役職は「幸福の宝冠」

2003.8.8 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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12  一流になるには責任・雄弁・友情
 二十一世紀を勝ちぬく力――それは「人材」である。
 人間教育を担う中国・華南師範大学の顔沢賢がんたくけん学長との語らいは忘れられない。(=二〇〇〇年八月、
 名誉会長への華南師範大学「名誉教授」称号授与のため来日)
 顔学長は、孔子の随一の弟子である顔回の末裔とされ、科学技術哲学を専門とする大学者である。
 かつて顔学長は、学生たちに、「わが大学の精神は、『行うこと』です。『口で言うこと』ではありません」と語り、″行動″の大切さを訴えた。さらに、これからの青年が磨いていくべき力として、次のような点を挙げておられた。
 「天下のことを、みずからの任務とする歴史的責任感」
 「遠くを見すえ、目先のことにとらわれない自己認識能力」
 「困難を見すえて前進しゆく、不撓不屈の精神」
 「みずからの意思を雄弁に、堂々と主張できる表現力」
 「目と耳をあらゆるところに注意深く向ける情報収集能力」
 「良き友を選び、広く交流を結ぶ友誼のネットワーク」
 これらは、すべて、私たちが日々の学会活動のなかで、磨き鍛えていることに通ずる。二十一世紀の最先端の人材のネットワークを、学会は追求し、拡大しているのである。
 とくに、長野は「創価信濃大学校」、新潟は「源流大学校」を機軸としながら、新しい人材を、たゆみなく育成してこられた。どうか「信越を見よ」「信越に続け」と、世界の模範と光る「人材の山脈」「人材の大河」を築き上げていただきたい。
13  決意の「心」で一切が決まる
 「心こそ大切なれ」――ここに、人生の要諦がある。
 この「心」の中に、社会も、世界も、宇宙も、すべて収まっている。今、抱いている決意の「心」で、一切が決まる。
 仏法は「一念三千」を説く。妙法を信じぬく一念は、自身も、周囲も、世界をも、より良く変革していける。その力を秘めている。
 人生は戦い、社会も戦い――それが現実だ。断じて勝たねばならない。
 怖いのは、「自分をよく見せたい」「自分はこんなにやったんだ」という気取りの心だ。
 それでは勝てない。功徳も出ない。紙一重だが、空転になってしまう。
 本来、倒すか、倒されるかという熾烈な闘争のなかで、よけいなことなど考えられないはずだ。
 大事なのは、「断じて勝つ」という一念だ。戦う心が燃えているかだ。この一点を、わが身に深く刻んで、祈りぬく時、すべての行動が生きる。永遠の勝利の軌道を進んでいけるのである。
 四条金吾への御聖訓には仰せである。
 「天台大師の『摩訶止観』の第八、ならびに妙楽大師の『弘決』の第八に、『必ず心が堅固であることによって、神の守護が強い』とあります。神が守るといっても、それは、人の心が強いことによると思われます。法華経は、良い剣ですが、使う人によって、切れ味が違ってくるのです」(御書1186㌻、通解)
 さらに、こうも仰せである。有名な御文である。
 「なにの兵法より
 強い信心で、正義の言論の宝剣で、痛烈に邪悪を叩き斬ることだ。勇気凛々と勝ち進んでいくことだ。これが、弟子一同に対する大聖人の厳命であるからだ。
14  終わりに、オーストリアの作家ツヴァイクの言葉にふれたい。
 「勇ましく限界を越えてゆく人たちがいなかったとしたら、人類はみずからのなかに囚われ、人類の発展は堂々めぐりにすぎなくなるであろう。
 人類のためにいわば一歩前へ踏み出してゆくこのような偉大な使者がいなかったとしたら、どの世代の人々も自分たちのとる道を見つけることはできないだろう」(「ドストエフスキー」神品芳夫訳、『三人の巨匠』〈『ツヴァイク全集』8所収〉、みすず書房)
 勇ましく限界を越えていく人――その人が歴史を開く。
 人類の平和と正義を実現する広宣流布の使者として、勇敢なる一歩、希望の一歩、勝利の一歩を踏みだすことを決意しあって、記念のスピーチを結びたい。
 (長野研修道場)

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