Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(7) 世界は「人間主義の勝利」を待つ

2003.8.6 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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6  傲慢な権力にも断じて屈しない。これが信仰の魂である。
 有名な御聖訓には、こう教えられている。
 「大身の人(身分や地位などの高い人)から、(圧迫を加えようとして)言いだしてきたことに対しては、『ああ、法華経の良い敵よ! 三千年に一度咲く優曇華の花や、一眼の亀が奇跡的にめぐりあえる浮木(のように、会いがたい敵)である』と、お考えになって、強くご返事をなされるがよい」(御書1540㌻、通解)
 信心している人間が、なぜ妬まれるのか? 必ず成仏するからだ――そう大聖人は仰せである。
 「法華経を持つ者は必ず仏になる。ゆえに、第六天の魔王という三界の主が、法華経を持つ人を強く嫉むのである。この魔王は、あたかも疫病の神が、だれの目にも見えずに人に取りつくように、古酒に人が酔い入ってしまうように、国主・父母・妻子に取りついて、法華経の行者を嫉むと経文に見える」(御書925㌻、通解)
 難を乗り越えてこそ、宿業も転換でき、仏になれる。御書にはこうある。
 「『鉄』は炎で熱して打てば『剣』となる。賢人、聖人は罵詈して試みるものである」(御書958㌻、通解)
 また、「三類の強敵を顕さなければ、法華経の行者ではない。三類の強敵を顕すのが、法華経の行者である」(御書441㌻、通解)――この大聖人の仰せのままに、三代の会長をはじめ創価学会は、広布へ戦い、三類の強敵を出現させたのである。
7  戸田先生「青年の成長が私の喜び」
 戸田先生は「何がいちばんうれしいですか?」と聞かれて、こう答えられた。
 「広宣流布のために戦っていく弟子たちが、どんどん成長することだ。青年と会うことが、語ることが、最高の喜びである」。私もまた同じ気持ちである。
 ブルガリアの芸術史家、ジュロヴァ博士は、私との対談集(『美しき獅子の魂』。本全集第109巻収録)の中で語っておられた。
 「師匠を持つ人は幸福であり、自分は彼の弟子だと言える人はもっと幸福です。しかし、もっとも幸福なことは、師匠から弟子と呼ばれることです」
 そのとおりだと思う。
 未来に伸びゆく青年のために、恩師戸田先生の指導者論を残しておきたい。
 先生は言われた。
 「形式的な表面的な弱々しい姿で臨んでいるだけでは、どうして人がついてくるか」
 「いったん決めたことを実行できないような意気地なしではいけない」
 「指導が、あまりに枝葉にわたりすぎてはいけない。指導というのは、信心がどれだけできるか、いかなる難事にぶつかっても、日蓮大聖人の教えと取り組んで、そしてその難を乗りきる。そういう指導が、本当の指導です」
 また「会員を、本当に大事にしないようでは、指導者の資格はない」と厳しかった。
 さらに、戸田先生は、「青年は、何かで第一人者になろうというだけの執念をもつことだ」と、よく言われていた。
 信心即生活であり、信心即社会である。
 「観念は宗教ではない。真の宗教は生活であり、生活上の証拠が必要である。折伏し、勤行するのは、生活が良くなる手段である」とも教えてくださった。
 戸田先生は人間学の天才であった。社会に広く信頼を勝ち得る外交戦について、先生は、こう語られた。
 「外交というものは、自分の一生の地盤にすることだ。品物ではなく、一人間を売ることだ」
 自分らしく、誠実に、人間王者の誇りを胸に、信念を語ることだ。
8  ギリシャの哲学者、プラトンの対話篇に、こういう言葉があった。
 「ひとは、とくにほかならぬ真理について話そうとするとき、真実ありのままを語る勇気をもたなければならない」(『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波文庫)
 ありのままに真実を語る。それがいちばん強い。たとえ時間はかかっても、必ず相手に通じていく。
 プラトンは、こうもつづっている。
 「正しい意味で雄弁家になろうとするものは正しい人であり、正しいことを知っていなければならない」(『ゴルギアース』、『プラトーン全集』〈岡田正三訳〉所収、全国書房)
 私たちは、正しい人生の道を知っている。正しい社会の軌道を進んでいる。それを堂々と語りぬきたい。
 (長野研修道場)

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