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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会(6) 創価は「皆を歓喜させる」世界

2003.8.5 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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6  難こそ誉れ、難こそ安楽
 敵がいるから、成長できる。自分自身が強くなる。大難に打ち勝って、仏になるのだ。
 大聖人は仰せである。
 「釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識である。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させるのである」(御書917㌻、通解)
 大難の真っただ中で、こうも仰せである。
 「仏になる道は、必ず身命を捨てるほどのことがあってこそ仏になるであろうと思われる」(御書891㌻、通解)
 死身弘法の人。その人こそ、真実の法華経の行者である。
 大聖人は宣言された。
 「日蓮は、世界第一の法華経の行者である。その日蓮を謗り、怨む者の味方になるような者は、世界第一の大災難に遭うであろう」(御書260㌻、通解)
 御本仏の大確信が轟いている。
 「第六天の魔王が私の身に入ろうとしても、かねてからの用心が深いので身に寄せつけない。ゆえに、天魔は力およばずに、王や臣下をはじめとして良観などの愚かな法師たちに取りついて、日蓮を怨むのである」(御書1340㌻、通解)
 「真実の法華経の如説修行の行者として師となり、その弟子檀那となるならば、三類の敵人が必ず現れるのである」(御書501㌻、通解)
 正義ゆえに迫害されるのは、最高の名誉だ。いいかげんな、遊び半分の覚悟では、大事は成し遂げられない。
 憎まれ、けなされ、迫害されても、毅然と進むのが、真実の信仰者である。
 難こそ誉れ。
 難こそ安楽。
 これが日蓮大聖人の師子吼であられた。
 その魂を継いだ世界一の戸田先生に仏法を学んだ私である。人間の真実は、すぐわかるつもりだ。
 本当に広布のために戦った人間を、最高に讃えたい。永遠に守りたい。
 御聖訓には、こうも教えられている。
 「種々の大難が雨のように降り、雲のようにわいても、法華経のためであるので、苦をも苦とも思わない」(御書1112㌻、通解)
 「法華経の中で仏(釈尊)は次のように説かれている。
 私(釈尊)が死去した後、後の五百歳に、すなわち二千二百余年が過ぎて、この法華経が全世界に広宣流布する時、天魔が人の身に入り代わって、この法華経を弘めさせまいとして、たまたま(法華経を)信じる者に対し、あるいは罵り、暴力を振るい、住む所を追放し、あるいは殺すなどのことをするであろう。
 その時、まず先陣を切って戦う人は、三世十方の仏を供養するのと同じ功徳を得るであろう」(御書1415㌻、通解)
 広宣流布こそ、永遠の世界平和の道である。その先陣を切る功徳は無量無辺である。
7  勇気で勝て! 祈りが武器
 勇気!――これが人生に勝つ鍵である。
 チャーチルの伝記の著者、ビベスコ公爵夫人は書いている。
 「勇気には、もうこれで充分ということは決してない。勇気は私たちみんなに、ひとりひとりに必要だ。すべての形の、すべての変化の、すべての種類の勇気が、私たちの性格により、また条件によって必要だ。私たちには毎日勇気がいる」(『チャーチルと勇気』安堂信也訳、東京創元社)
 苦しい時、つらい時、それを乗り越える力は、勇気だ。
 大聖人は仰せである。
 「一生が過ぎゆくのは、わずかな間であるから、どんなに三類の強敵が重なろうとも、決して退く心があってはならない。恐れる心があってはならない」(御書504㌻、通解)
 人生は、勝つか、負けるかである。大事なのは、百の論議よりも「勝つ」ことだ。一生懸命に祈り、苦難を乗り越え勝利した――その数々の実証は、創価の歴史に燦然と輝いている。
 祈りが武器である。真剣に、祈って祈って祈りぬき、努力を貫き、勝つしかない。めざすは「勝利」の二字しかない。
 中国の女性リーダーの宋慶齢女史は言った。
 「全国のあらゆる力の団結は、われわれの無敵の力の源泉なのです」
 「最後の勝利が必ずわれわれの側にあることは、疑いの余地がありません」(『宋慶齢選集』仁木ふみ子訳、ドスメ出版)
 最後の勝利をわれらの手に! その日をめざし、異体同心の仲良き団結で前進したい。
 (長野研修道場)

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