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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表協議会 民衆奉仕が指導者の魂

2002.9.10 スピーチ(2002.8〜)(池田大作全集第94巻)

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3  写真は「心を結ぶ」世界語――オーストリアで「自然との対話展」
 現在、オーストリアの″芸術の都″ウィーンで私の写真展が開催されている。(「自然との対話――池田大作写真展」)
 会場は、十八世紀にモーツァルトが「フイガロの結婚」の試演会を行ったという、由緒あるパルフィ宮殿である。ご関係の方々に、あらためて深謝申し上げたい。
 (九月五日から二十四日まで。オーストリア首相府、ユネスコ・オーストリア委員会、ヨーロッパ青年文化協会、オーストリアSGIの共催)
 開幕式の模様を、オーストリアSGIの理事長が伝えてくださった。SGIメンバーでウイーン音楽アカデミー教授がピアノを、会友の方がサクソホンを演奏。さらに国立王宮劇場の俳優ご夫妻、婦人部の映画女優の方が、私の詩を朗読してくださったという。音楽の都ならではのすばらしい催しである。
 共催のヨーロッパ青年文化協会のサイフェルト会長(オペラの女性歌手、元文部次官)も、真心あふれるあいさつをしてくださった。
 写真の専門家ではない私が、平和への旅の折々に、自然と語りあいながら撮影した作品である。
 幸い、多くの方々から、温かい共感の声をいただき、感謝にたえない。
 写真は瞬時に心を結ぶ″世界語″である。写真を通して新たな友情を結び、平和と共生の光彩を広げていけることは、このうえない喜びである。
 私がオーストリアを訪問してより十年。オーストリアは見事に勝利した。わが同志が、晴ればれと胸を張り、誇りも高く前進している姿は、何よりもうれしい。
4  オーストリアといえば、「ヨーロッパ統合の父」クーデンホーフ=カレルギー伯爵が、壮大な理想をめざして第一歩を踏み出した地である。
 伯爵とは、三十五年前に初めてお会いし、友情を温めあった。
 伯爵は、私たちの仏法ルネサンスの平和運動に「人類を救う希望」を見いだしておられた。この期待と信頼にお応えするためにも、私は一貫して平和への対話と行動を貫いてきた。
 (伯爵は述べている。
 「新しい宗教波動だけが、この〈=第三次世界大戦の〉趨勢を止め、人類を救うことができる。創価学会は、それ故に、偉大なる希望である」「池田大作の指導の下にある創価学会は、物質主義に対する宗教の、そして戦争に対する平和の、勝利をもたらす大いなる希望である」〔斎藤康一『写真 池田大作を追う』講談社〕)
5  ウンガー博士と「宗教間対話」
 ウイーンを一拠点とする「ヨーロッパ科学芸術アカデミー」。その会長を務めるウンガー博士と私たちSGIは、世界の四大宗教の「宗教間対話」に、協力して取り組んでいる。
 心臓外科の世界的な権威であるウンガー博士と私は、現在、対談集の発刊の準備も進めている。
 (=「人間主義の旗を―人間性・慈悲・寛容」。「東洋学術研究」で二〇〇四年十二月から連載開始)
 混迷を深める人類社会を、どのように平和と共存の方向へもっていくか――真摯に語りあうなかで、博士は、市民の社会参加の重要性を指摘しておられた。
 「社会の安定と平和のためには、庶民全員が積極的に社会活動に参加し、全員が仕事をしなければいけないと思っています。また、子どもたちと一緒に参加すれば、実際の行動で模範を示せるし、子どもへの教育にもなるでしょう」
 日々の学会活動が、いかに重要な社会貢献と平和拡大の運動であるか。なかんずく、子どもと一緒に奔走される婦人部、ヤング・ミセスの皆さま方は、偉大な人間教育、平和教育、環境教育などを自然のうちに実践しておられるのである。
 博士は、臨終の姿に関しても、医学的な見地から所感を語っておられた。穏やかに安祥として臨終を迎えた人について――。
 「非常に満足し、幸せな人生を歩んだ人や、心が平穏で、自信をもって人生を全うした人は、良い生命状態で亡くなったと言えるのではないでしょうか。その人が、もし生まれ変わるのであれば、同じく良い生命状態で生まれてくるでしょう」
 仏法の知見にも通ずる視点である。生命を貫く因果律は、まことに厳粛である。いかなる財宝や名声をもってしても、生命の総決算の厳しき判定だけは免れることはできない。
 広宣流布に生きぬいたわが創価の友は、無数の同志の題目に包まれながら、荘厳なる人生の最終章を飾っておられる。それ自体、創価学会が三世永遠の「生命の安全地帯」である厳たる証といってよい。
6  世界平和のため、人類の幸福のために、勇敢に、寛容の心をもって「文明間の対話」「宗教間の対話」に打って出ていく。それが真の宗教者の使命である。
 ウンガー博士は、信仰の意義について、こう語っておられた。
 「信念、信仰というものは、『恐れ』の対極にあるものです。信仰をもっているということは、自身の基盤をもつゆえに、『恐れを知らない』ということです。これは『寛容』にとっても重要なことです。人は、信仰によって正しい分別をもち、安定性をもつことができるのです」
 何ものをも恐れるな! 不屈の正義の魂が信仰である。これがヨーロッパを代表する知性の洞察なのである。
 日蓮大聖人は「あへて臆病にては叶うべからず候」と仰せである。
 さらに、ウンガー博士との語らいが指導者論に及んだ時、博士は毅然と言っておられた。
 「『大臣(ミニスター)』の語源も、『奉仕する者』の意味です」
 「同じように、患者という君主に奉仕するのが医師の役目であり、目的です。絶対に患者さんを、自分たちの手段や、たんなる対象物にしてはならない。人間は一人一人が主体的な存在です」
 「医学も、そして政治も、民衆に奉仕する芸術なのです!」
 牧口先生は『創価教育学体系』で言われていた。
 「教育と政治とは未来と現在とに関し、子供と大人とを相手にする差はあるが、人材を基として社会の改良を目指す点に異はない」(『牧口常三郎全集』6)
 民衆に奉仕する、強き信念をもった新世紀の指導者を育て、社会に送り出していくのが、創価の人間革命運動である。偉大なる民衆を尊敬し、民衆を守り、民衆に尽くしぬく――その原点を決して忘れてはならない。
7  大聖人の厳愛の指導に背いて退転した三位房
 ここで、大聖人が、弟子の三位房を厳しく戒められた御聖訓を拝したい。
 「総じて日蓮の弟子は京に上ると、初めのうちは(初心を)忘れないようであるが、後になると天魔がついて正気を失ってしまう。少輔房のようなものである。
 三位房、あなたもそのような姿になって諸天に憎まれないようになさい。
 京に上って、いくらも経ってないのに、実名を変えたということであるが、狂っている。きっと言葉つきや発音なども、京なまりになったことであろう。ねずみがこうもりになったように、鳥でもなくねずみでもなく、田舎法師でもなく京法師にも似ていず、少輔房のようになってしまったと思われる。言葉は、ただ田舎言葉でいるがよい。(どっちつかずなのは)かえって見苦しいものである」(御書1268㌻、通解)
 大聖人の厳愛の指導にもかかわらず、三位房は、後に退転し、悲惨な末路をたどった。
 名聞名利、毀誉褒貶に絶対に流されてはならない。これは、永遠にわたる、民衆仏法の重大なる教訓である。
8  悩める友のもとへ、今すぐに!
 一人でもいい、何でも相談できる人をつくることが大事である。友人でも、先輩でも、かまわない。それが何よりの人生の財産である。
 異体同心の団結で勝利するために、リーダーが絶対に忘れてはならないことは何か。
 さまざまな角度から考えることができるが、とくに重要な一点――それは、打てば響くような「スピード」である。
 悩んでいる友がいる。行き詰まっている友がいる。それがわかったら、すぐに激励に訪れる。電話をする。手紙を書く。誠心誠意、励ましの手を差し伸べる。その迅速な対応が、共感を生み、信頼を育み、安心を広げ、団結を強めていくのである。
 私も、若き日より、「電光石火」を身上としてきた。なすべきことを後回しにするのは敗北の道である。
 二十一世紀は、ますます熾烈な競争の時代である。あらゆる団体が生き残りをかけて、必死に戦っている。勝ち抜くカギは「スピード」である。その根本は「同志を絶対に幸せにする」という強き責任感と祈りである。
 広宣流布は、人類愛の闘争である。「法華折伏・破権門理(「法華の折伏は、権門の理を破す」)」(『法華玄義』)の大精神闘争である。さらに勇猛果敢に、断じて勝ち進んでまいりたい。
 (東京・信濃文化センター)

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