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日蓮大聖人・池田大作

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長野代表協議会 「あたたかい言葉」「励ましの声」を

2001.8.24 スピーチ(2001.8〜)(池田大作全集第93巻)

前後
2  きよう、全米角界の大きな期待と注目のなか、アメリカ創価大学オレンジ郡キャンパスの入学式を盛大に迎えることができ、私は感無量である。
 牧口先生、戸田先生が開かれた「創価の人間教育」への関心も、さらに高まっている。
 この秋には、教育に関する私の提言や発言などをまとめた英文書籍が発刊の予定である。タイトルは『創価教育――教師、学生、両親に贈る仏法からの視点』。
 発刊にあたり、名門ウェルズリー大学のカザンジン学部長が、友情と真心あふれる序文を寄せてくださった。カザンジン学部長は、同大学を中心に全米三百五十大学が進める「教育変革プロジェクト」を創設し、教育改革へ真摯に取り組んでおられる。
3  創価教育は世界の希望
 『創価教育』の序文に、学部長は、こうつづられた。
 「健全で平和な社会をめざすうえで、″教育の不可欠な役割を見直そう″との新しい教育運動が高まってきています。
 異なる山頂から流れてきた水流は、やがて一つに合流します。それと同じように、異なる淵源を持ち、異なる文化のなかで高まってきた世界の教育運動の流れが、とくに最近、合流して一つの″河″を形成するまでに水かさを増しています。それは、個人に自立の力をあたえ、社会を形成しゆく教育の役割について、新たなビジョンの実現を約束する地球規模の運動です。そして、この教育活動の重要な一つの流れが、池田大作氏が日本で推進し、さらには、その知恵を世界に発信する創価教育運動なのです」と。
 カザンジン学部長は、アメリカ創価大学の理想と教育理念に深く共鳴し、その未来に限りない期待を寄せてくださっている。
 (学部長は序文で、こうも述べている。
 「〈以前、北京大学での講演を読んで以来〉私が感じてきたことは、『池田氏の著作は、偉大な知恵の源泉であり、それを読んだ世界中の人々は、みずからの行動基盤となる価値観を検証するよう迫られる』ということです」
 「『教育における正義と人間的な価値の追求』『教育における創造性』『世界市民の創出のための教育』といった分野での池田氏の主張は、全世界の教育者の間で見られる哲学的、また現実的な教育論の主たる流れと響きあうものであります。これまでの歴史上の哲学者、詩人の言葉を網羅した池田氏の言葉は、教育が″人間を解放する力″であるとする旧来の教育観を現代的に展開し、新しい生命を吹きこむものであります」
 「今日、人間社会で起こっている課題に、より敏感に対応していける教育制度への転換をめざすならば、池田氏のような、世界的な、知恵ある人の声に耳をかたむけなければなりません。そうすることによってのみ、私たちは、おのおのの地域社会で、″教育改革のための地球的規模の運動″を現実化できるのです」)
 創価教育は世界の希望である。
 牧口先生、戸田先生を源流とする創価の理念が、いよいよ、二十一世紀の世界の舞台で新たな教育ルネサンスを開花させ始めた。
 私たちは、地域から世界へ、また、世界から地域へ、壮大なる人材育成、人間教育の大運動を進めてまいりたい。
4  長野は人材を育む天地
 牧口先生は、地理学者として、美しい山河に恵まれた信州を、″人材を育む天地″として注目しておられた。
 教育立県である長野の若き教育者とも、牧口先生は大いに交流を結ばれた。法華経とマルクス主義のどちらが、より世の中を救えるのか、長野の教育者と議論し、次々に折伏していかれた。
 現在の長野教育部の全国模範の活躍を、牧口先生も、さぞ喜んでおられるにちがいない。
 さらに、牧口先生は、ここ長野研修道場がある軽井沢にも注目しておられた。牧口先生は、戸田先生を伴って、この地をいくたびも訪問され、色心錬磨の夏を送られていたのである。
 私も、戸田先生から、軽井沢での牧口先生との思い出をうかがった。
 創価大学出身の牧口先生の研究者によれば、両先生の軽井沢訪問の足跡は、三回、確認されている。すなわち、大正十四年(一九二五年)、昭和二年(一九二七年)、そして、私が生まれた昭和三年(一九二八年)である。いずれも八月で、期間は、それぞれ一週間。
 大正十四年の時は、牧口先生、戸田先生のお二人に、ご長男の牧口民城さんも同行。また昭和二年、昭和三年のさいは、両先生の教え子や教員などが同行している。両先生が引率し、鬼押出しにも行かれた。青年とともに、心身の鍛錬に励まれたのである。
 その軽井沢で戸田先生は、生涯最後の夏(昭型三十三年〈一九五七年〉)を過ごされ、私を呼んでくださった。そして、学会も将来、このような天地で夏季研修会を行いたいとの希望を、私に語られたのである。それは、牧口先生の夢でもあった。
 その両先生の夢を実現した、この長野研修道場は、まさしく「創価の師弟の生命錬磨の大城」である。完璧に整備してくださつている、「共栄会」(守る会)をはじめ、地元の方々に、重ねて心から感謝申し上げたい。
 長野創価学会は、いよいよ発展している。これも、すべて、皆さまが真剣だからである。誠実だからである。長野広宣流布をこれだけ成し遂げられた――これこそ偉業のなかの大偉業なりと私は讃えたい。
5  広宣流布は、日蓮大聖人の御遺命である。創価学会の魂である。
 戸田先生は語っておられた。
 「日蓮大聖人がいかにして、この悪い時代の民衆を救うかと思惟せられて、この『大法』によって、必ず百発百中、絶対的に救えるとなされた法である。この方法こそ偉大な世界の創造ではないか!」(「折伏論」、『戸田城聖全集』3所収)
 「(=折伏こそ)幸福への最高手段であり、世界平和への最短距離であり、一国隆昌の一大秘訣である。ゆえに私は、折伏行こそ仏のご修行中、最高なるものであると説くのである」(同前)
 「釈迦教団の中心人物たる舎利弗にせよ、阿難にせよ、みな若き学徒であった。
 日蓮大聖人の門下も、また、みな若き学徒によって、固められていたのである。日興上人は、大聖人より二十四歳も若かった。(中略)西より東に向かった仏教も、青年によって伝承せられ、東より西に向かう大聖人の仏法も、青年によって基礎づけられたのである。(中略)諸兄らは、この偉大なる過去の青年学徒群と、同じ目的、同じ道程にあることを自覚し、これに劣らぬ覚悟がなくてはならぬ」(「青年訓」同全集1所収)
 ″青年よ、新しき広布の歴史をつくれ″と私は心から期待し、呼びかけたい。
6  先日も申し上げたが、現在、私は、対談集の発刊に向け、世界的な未来学者ヘンダーソン博士と対話を続けている。(=『地球対談 輝く女性の世紀へ』と題して、二〇〇三年一月、主婦の友社から発刊)
 博士は、創価学会、SGI(創価学会インタナショナル)の運動を深く理解し、そこから真摯に学ぼうとしておられる。
 私は、創価学会が、苦しむ人、悩める人のために行動してきたゆえに、世間から「貧乏人と病人の集まり」と椰楡されてきたこと、そして、それを何よりも誇りにしていることを申し上げた。
 博士は、「SGIの原点は、そこにあったのですね。感銘しました」と言われ、こう続けた。
 「人間はだれであれ、どんな職業や階級の人であれ、私にとっては、聖なる貴い存在なのです。だれもが『生命の輝き』を持っていますから、皆が貴い存在なのです」
7  「一人の人を大切に」――だから学会は発展
 まったく、そのとおりである。人間はだれもが皆、等しく尊い。
 いわんや、平等大慧の仏法は、家柄や財産や学歴や肩書などで、決して人を組断しない。どこまでも、その人の行動を見る。その奥にある心を見る。「心こそ大切なれ」である。
 ゆえに真実の仏法者は、権威や権力を療りかざす傲慢な人間など、断じて恐れない。悠然と見おろして戦っていく。正していく。そして心清き、まじめな庶民を最大に大切にし、守っていくのである。
8  ヘンダーソン博士は言われた。
 「SGIの活動は、なぜ、これほど世界的に広がりを見せるようになったのでしょうか。また、どうやって、不撓不屈の団体をつくりあげてきたのでしょうか。この点について、私は、池田会長の″生徒″として、お聞きしたいと思います」
 まことに一流の方は謙虚である。
 その答えの一端として、私は、大要、こう申し上げた。
 「まず、一心不乱に事に当たったからです。一人一人の人間革命に立脚点を置き、小さな自分を乗り越え、大きな目的を人生に据えたからです。そのうえで、なぜSGIがこれだけ世界的に発展し、不撓不屈の団体になったかを一言で言えば、それは『徹して一人の人を大切にしてきた』からです。
 私の人生は、そのためにありましたし、リーダーにも、そう言い続けてきました。それ以外に、何か″秘策″があるわけではありません。
 そして、皆で励ましあいながら、ともに自己の『人間革命』に挑戦してきたからだと思います。それぞれが、『自己に打ち克つ』ことが、大きな社会の発展につながり、やがて、人類の歴史をも動かしていく――これが、私どもの『人間革命』運動の核心なのです」と。
 「一人を大切に」――ここに創価学会の魂がある。この伝統を輝かせていく限り、学会は永遠に発展する。
9  ほめてこそ人は伸びる
 広宣流布という究極の大目的のために、一生懸命に戦う無名の庶民を、もっとも尊敬し、讃嘆すべきである。広布の人を仏のごとく敬え――これが法華経の「最上第一の相伝」である。
 法のため、人のため、仏意仏勅の創価学会のために行動し、力を尽くしてくださる方々のことは、どんなに讃嘆しても、しきれない。いくらほめても、足りない。
 リーダーは、声も惜しまず、ほめ讃えていくことだ。広布へ戦う人をほめれば、広布が前進する。人材が伸びる。功徳が広がる。反対に、いじめれば、仏罰は厳然である。
 長野の男子・学生部が「諸法実相抄」の現代語訳に取り組んでいかれると、うかがった。
 同抄には、こう仰せである。「あまりに人が自分をほめる時は、『どんなふうにでもなろう』という心が出てくるものである。これは、『ほめる言葉』から起こるのである」(御書1359㌻、通解)
 「ほめられると、わが身の損なわれるのもかえりみず、(また逆に)そしられると、わが身が破滅することも知らずに振る舞うのは、凡夫のつねである」(御書1360㌻、通解)
 大切な人間学を教えておられる御文である。励ましの声が、何よりの力である。反対に、心ない一言は取り返しがつかない。とくに、女性に対して、幹部は絶対にふざけがあってはならない。
 さらに御聖訓には、こうも仰せである。
 「たとえ、志がなくても末法の法華経の行者をほめ、供養する功徳は、身口意の三業が相応した信心によって、一劫という長い間、生身の仏を供養するよりも、百千万億倍、勝れていると説かれている。
 これを、妙楽大師は『福十号に過ぐ』と書かれたのである。十号というのは、仏の十の御名前である。十号を具えた仏を供養するよりも、末法の法華経の行者を供養する功徳は勝れると書かれたのである」(御書1044㌻、通解)
10  リーダー一人一人が、同志に対して、さらに心を砕いていくならば、創価学会の威光勢力は、何倍、何十倍にも増していくにちがいない。
 戸田先生は言われた。「折伏に精進する者は、学会の重鎮であり、大黒柱である。会長たりとも、各部長たりとも、折伏行に精進する者に出会わば、大聖人より、『善哉、善哉』と、おほめにあずかっているみ仏の使いとして、立って、これをお迎えしなくてはならない」(「日蓮大聖人と折伏の徒」前掲全集1所収)
 皆、仕事でも、家庭でも苦労は尽きないものだ。学会の世界に来たならば、心から、ほっとできる。安心できる。そうさせてあげられる名指導者であっていただきたい。
 誠実な、よき指導者として、皆から信頼されていくことは、人間として最高の誇りである。
 なかんずく、真剣に戦っておられる、婦人部、女子部を大切にしていくことだ。そして、自分の戦う姿をもって、皆を自然のうちに、勝利の方向へ、前進の方向へと、リードしていけるような祈りと行動をお願いしたい。
11  「優しさ」と「正義の怒り」をもて
 市民運動に一人立ち上がったヘンダーソン博士が、さまざまな無理解や批判にさらされたことは、有名である。
 (「もっともつらかったことは」との問いに、博士は答えた。「最悪の思い出は、私を『共産主義者』と言って誹謗する手紙が来たことです。共産主義は、私の思想ともっともかけ離れたものでしたから、非常に傷つきました」)
 博士は、まったく根拠のない、悪意の中傷を捏造され、家族まで巻きこまれた。しかし、博士は、ただ耐えるだけではなかった。正義の怒りを奮い起こして、憤然と戦いぬいていかれたのである。
 博士は、「全体人間」でありたいと志して生きてきたという。博士は語っておられた。
 「全体人間がもつ一つの面は『優しさ』であり、もう一つの面は『正義の怒り』だと思います。この怒りが、しばしば、私の行動を動機づけてきました。もちろん、暴力を絶対に用いない上での行動です。
 人間として恥ずべき行為や、非人間的な社会悪を目のあたりにした時の正しい怒り、正義の憤りです。それは、よい動機であり、義憤は、行動へのエネルギーになります」
 さすが、戦いぬいてきた超一級の知性の言葉である。
 御聖訓にも、「瞋恚しんには善悪に通ずる者なり」と仰せである。
 広宣流布の前進には、つねに三障四魔、三類の強敵が現れる。「魔競はずは正法と知るべからず」だからである。
 その悪に対しては、法を守るため、同志を守るため、学会を守るため、指導者は、そして青年は、破折精神を燃え上がらせて、断固として反撃し、打ち破っていかねばならない。
12  ウズベキスタンの大詩人ナワイーは叫ぶ。
 「もしも、嘘つきたちのウソが、もっと、控え目であったならば、これほど、無惨な時代にはならなかったろうに」
 「今、真実に生きる人は、いかに迫害され、試練にさらされていることか」
 「ウソをなりわいとする不実の輩は、男とは呼べない。いかにずる賢く悪知恵を巡らそうとも、哀れな結末からは逃れられぬ。たとえ全民衆をだましおおせたとて、因果応報の理からは逃れられぬ。たとえ愚か者たちを一世紀だませても、ウソはやがて、みずから正体をさらすだろう」
 「真実とは――本物の人間の核である。
 そこには二つの側面がある。
 一つは、言葉だけでなく、思いも行動も、真実であること。
 二つは、欺瞞の人々を哀れみながら、たゆまず真実を言いきっていくこと。
 この二つこそが、人間の高き品性であり、偉大なる心の証である」
13  大信州よ立て!
 日蓮大聖人は仰せである。「(日蓮の)弟子となる人々は、宿縁が深いと思って、日蓮と同じように法華経を弘めるべきである」(御書903㌻、通解)と。
 長野は来月、全県の支部または地区で、青年部が先頭に立って、「新世紀・第一回友情総会」を開催されるとうかがった。
 大成功を祈りたい。長野の全同志に、どうか、くれぐれもよろしく、お伝えください。
 わが愛する長野の友に記念の和歌を贈りたい。
  大信州
    君は立ちたり
      断固して
    築け飾れや
      長野城かな
  
  幸福の
   生命を持ちたる
     君なれば
   楽しく恐れず
     広布に尽くせや
 終わりに、日本全国の尊く大切な全同志の皆さまのご健康とご多幸、また全世界のSGIの同志の皆さまがご長寿で、大福運ある人生を送られんことを、心よりお祈り申し上げたい。
 (長野研修道場)

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