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日蓮大聖人・池田大作

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全国最高協議会 さあ悩める友のもとへ!

2001.8.10 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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7  「生ける魂であれ、死せる魂となるな」――ゴーゴリ
 先日(七月二十七日)、私は、ウクライナのコステンコ駐日大使と忘れ得ぬ語らいの機会を得た。まことに立派な大使であられた。
 ウクライナは、この八月二十四日に、独立十周年の佳節を迎える。ちょうど、私の入信記念日と同じ日である。
 大使との深い友情を胸に刻みながら、ウクライナにゆかりの文豪の言葉を、紹介したい。
 戸田先生のもとで学んだ『隊長ブーリバ』の著者で、ウクライナ出身の文豪ゴーゴリの遺言。
 「生ける魂であれ、死せる魂となるな」(アンリ・トロワイヤ『ゴーゴリ伝』村上香住子訳、中央公論社。以下、引用は同じ)
 広宣流布という正義のなかの正義の大理想に戦う魂は、まさしく「生ける魂」である。
 「苦悩に堪え抜き、不幸な重荷を常に背負い続けてきた者が、とどのつまり最高の至福を手に入れるのです」
 いわんや、変毒為薬、転重軽受の妙法を持った人に恐れるものはない。
 さらにゴーゴリは言う。
 「騎慢で力強い人間が、不幸に陥ると気の弱いつまらぬ人間となり、一方弱者が、不幸の中にあって、巨人の如く大きく成長するという掟がある」
 ″貧乏人と病人の集まり″と言われた学会は、この「人間革命」の偉大な実証を無数に示してきた。
 ゴーゴリは「明快に笑うことができるのは、どこまでも善良な魂だけなのだ」とも言う。
 だからこそ、善良な魂と魂の集いである創価の世界は朗らかである。笑いが絶えない。
 ウクライナ出身の作家チェーホフの言葉。
 「無関心とは――それはたましいの麻痺だ、早くも訪れた死だ」(「退屈な話」湯浅芳子訳、『退屈な話・六号病室』所収、岩波文庫)
 多くの若人を、この″魂の死″から救い出していくのが、わが青年部の使命である。
8  大聖人は、女性の弟子・日厳尼に仰せである。
 「あなたの願いが叶うか叶わないかは、あなたの御信心によるのです。(叶わないのは)まったく日蓮のせいではありません。水が澄めば月はくっきりと映る。風が吹けば木の枝が揺れる。皆の心は水のようなものであり、信心が弱いのは水が濁っているようなものです。信心が潔いのは水が澄んでいるようなものです。木は道理のようなものであり、風が木を揺り動かすのは、経文を読み、仏道修行して、その道理を動かして(願いを叶えて)いくようなものであると心得ていきなさい」(御書1262㌻、通解)
 信心ほど、強い力はない。どうか、「信心即健康」「信心即生活」で、聡明に、模範の家庭をつくっていただきたい。
 そして、後継者である青年部、未来部を厳として励まし、鍛え、大いに育成してまいりたい。
 同志は、たがいに尊敬しあい、心を合わせ、歩調を合わせながら、わが方面、わが県の新たな「広宣流布の人材の大城」を盤石に築き上げゆくことを、ともどもに約しあいたい。
 (群馬多宝研修道場)

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