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日蓮大聖人・池田大作

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第2回東京婦人部最高協議会 女性こそ二十一世紀のスーパーパワー

2000.7.26 スピーチ(1999.10〜)(池田大作全集第91巻)

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9  「民衆の勇気」を世界に発信
 一人の女性の強き一念が発信するニュースは、世界を巡った。多くの人々が、真の実態を知るようになり、植民地支配に大きな動揺を与えていった。
 ミラ・ベーンたちの外交戦・広報戦は、砲弾のごとく、敵の本陣を揺り動かしていったのである。
 ミラ・ベーンは、こうした、激しい闘争のために、何度も投獄されている。しかし彼女は、それを、恐れるどころか、むしろ誇りとした。
 彼女は、当局から逮捕されることを知ったとき、友人であるフランスの文豪ロマン・ロランに、こう書き送っている。
 「私にもとうとう名誉が与えられることになりました。通知が送られてきて、明朝の逮捕を待つ身になりました」
 「心から愛する国(インド)は恐ろしい抑圧の締めつけの下で闘っています。しかし決意の精神は強くかつ深いのです」(『ロマン・ロラン全集』42、蛯原徳夫訳、みすず書房)と。
 どんなに苦しくとも、彼女は、師匠とともに戦えることを無上の喜びとしたのである。
 ミラ・ベーンは、ある時、牢獄のなかから、師・ガンジーに書き送っている。
 「そうです。あなたの娘であることは、容易なことではありません。しかし、価値のあることは、決して、容易ではないのです。遠く遠く離れた、この牢獄に一人でいることは、大変な戦いです。心配なニュースを聞くと、燃えさかるかまどに投げ入れられたような気持ちになります。しかし、もし、その信念が本物であるならば、それは、燃えさかる炎のなかをくぐり抜けることができなければならないのです」と。
 こうした女性の戦いがあってこそ、インドの勝利はもたらされた。
 ネルー初代首相も、インドの独立に果たした、女性の闘争の歴史的意義について、こう語っている。
 「無慮無数の婦人たちが、かれらのヴェールをかなぐりすて、かれらの閉ざされた家庭のしきいを踏み越えて、闘争するかれらの兄弟たちと手をたずさえて、街頭や広場に進出し、ときには男たちを瞠若どうじゃく(=目を見張る)たらしめたふるまいは、それをまのあたりに見たことのない人には信ぜられないほどであった」(『父が子に語る世界歴史』5、大山聰訳、みすず書房)と。
 今、創価世界女性会館も、その華麗な装いを、いよいよ現している。
 二十一世紀の世界の「スーパーパワー」である女性の連帯の先頭に立って、わが創価学会婦人部が、ますます、はつらつと活躍されゆくことをお祈りしたい。
10  「強き信心」の人生は無敵
 ここで日蓮大聖人が女性門下に贈られた御聖訓を拝したい。
 「乙御前御消息」には、こう仰せである。
 「妙楽大師は『必ず心の固きによりて神の守り、すなわち強し』等と言われています。心の堅固な者には、神の守りが必ず強いというのです。このように申し上げるのは、あなたのためです。あなたの前々からの(信心の)お志の素晴らしさについては言い尽くせませんが、それよりも、なお、いっそう強盛な信心に立っていきなさい。その時は、いよいよ十羅刹女の守りも強くなることと思いなさい。その例は、他から引くには及びません。この日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一人の例外もなく害しようとしましたが、今までこうして無事に生きてくることができました。これは、日蓮は一人であっても、法華経を信ずる心の強いゆえに諸天善神が守護されたのであると思いなさい」(御書1220㌻、通解)
 そして、四条金吾の夫人には、こう述べておられる。
 「この法華経だけには、『この経を受持する女性は、他の一切の女性に優れるだけでなく、一切の男子にも超えている』と説かれています」(御書1134㌻、通解)
 「一切の人が憎むならば、憎めばよい。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏をはじめとして、梵天・帝釈・日天・月天等にさえ、いとおしく思っていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか。法華経(御本尊)にさえ、ほめていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか」(御書1135㌻、通解)
 「ただし、信心の弱い人は、法華経を受持する女性であっても、諸天は捨てると説かれています。たとえば、大将軍の心が弱ければ、従う者も、ふがいない。弓が弱ければ、絃もゆるい。風が弱ければ、波も小さい。これは、自然の道理です」(同㌻、通解)
 広布の闘争において、女性の力が、どれほど大きいか。
 一切は、女性リーダーの強き信心で決まる。どうか、「強き信心」という無敵の力で「強き正義の矢」を放っていただきたい。新しい希望の波、大いなる勝利の波を起こしていっていただきたい。
11  ″友への奉仕がわが喜び!″
 マハトマ・ガンジーの言葉を贈りたい。
 「この人格は何のためでしょうか。この世での暮らしを楽しむためではありません。仲間に尽くすことを喜びとするためです。このような奉仕に、身体も心も頭脳も捧げるのです。人間の体は奉仕をするためだけにあります」(『ガンジー・自立の思想』片山佳代子訳、地湧社)
 わが人生を民衆のために!――これが学会精神である。
 「数千年という年月も、広大な時のめぐりの中ではほんの一点にすぎないのだ。誰かが、不屈の信念をもって、皮切りをしなければならない。大衆が(ヨーロッパの大衆でさえ)それに応えてくれるだろうことをわたしは信じて疑わない」(ガンディー『わたしの非暴力』1、森本達雄訳、みすず書房)
 まず、自分自身が動くことである。すべてはそこから始まる。
 「精神の力というものは常に前進し、限りがありません。この力を最大限に発揮することができれば、この世でそれを打ち負かせる力など他にありません」(前掲『ガンジー・自立の思想』)
 いよいよ二十一世紀である。新しい人材で、新しい東京を築いていただきたい。
 暑い日が続きますが、どうか、お元気で!
 敬愛する全同志のますますのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げ、私のスピーチといたします。
 (東京・新宿区内)

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