Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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宮崎最高会議 「太陽の国」宮崎に「黄金の旭日」を

1999.2.27 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

前後
7  ニュージーランドの有名な女流作家であるキャサリン・マンスフィールドは、「自分ができる、すべてのことをやりたい!」と語った。
 どのような立場になろうと、広宣流布の戦いにあっては、遠慮があってはならない。
 また、ニュージーランドの先住民マオリの人々の箴言には、「最も素晴らしいものは、何か? それは、人間である。人間である。人間なのだ!」とある。
 実に、はつらつたる人間賛歌である。人間は、人間以上にはなれない。その人間として、どう輝いていくか。それが仏法である。
 仏意仏勅の学会の組織は、本当の人間らしい人間の和合僧のスクラムである。
 学会こそ、これ以上ないという、素晴らしい「無上道」の世界なのである。
 私が若き日に暗唱したハイネの詩を、青年部に贈りたい。
 「休息をあこがれる気持ちは消えた。ぼくは、いままた自分が何をのぞみ、何をなすべきか、何をしなければならないかわかった……ぼくは革命の子だ」
 「竪琴をぼくに渡してくれ、ぼくが戦いの歌をうたうために」
 「ぼくは全身、よろこびと歌、全身、剣と焔だ!」(『ハイネの言葉』井上正蔵訳編、彌生書房)
 御聖訓には「所詮しょせん臨終只今にありと解りて信心を致して」と仰せである。
 「臨終只今にあり」――この熱烈たる真剣な一念に燃えてこそ、はじめて不滅の歴史を残すことができる。
 「仏の敵を一人あますな!」との戸田先生の獅子吼の遺言を、私は今ふたたび青年部に託したい。
8  無限の希望に満ちて広布開拓へ
 結びに、有名な「諸法実相抄」の一節を拝したい。
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし
 ――末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は男女のわけへだてをしてはならない。皆、地涌の菩薩が出現した人々でなければ唱えることのできない題目なのである。はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである。未来もまたそうであろう。これが地涌の義ではないだろうか。そればかりか広宣流布のとには日本中が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とするようなものである。ともかくも法華経に名をたて身を任せていきなさい――。
 愛する宮崎の地涌の菩薩の皆さま! 無限の希望に満ちた宮崎広宣流布の「開拓」を、私と一緒に進めてまいりましょう!
 今回、この研修道場に、宮崎の県の木であるフェニックスを記念に植樹させていただいた。このフェニックスの木のごとく、宮崎そして九州の全同志が「不老長寿」の人生であられることを心から祈って、私のスピーチとします。
 (宮崎研修道場)

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