Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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アジア平和文化会議 世界広宣流布の土台は完璧

1999.2.20 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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9  例の男の子の家では、家族みんなが甘い物が大好きで、いつも食べていた。それでいて子どもにだけ「甘い物はやめなさい」と言っても、聞くわけがなかった。日本の国も、厳しさのない、信念もない、あとさきも考えない、欲望に流された「甘い物ばかり欲しがる子ども」のような国になってしまった。このまま「目先の欲望」に流されていくならば、それを利用して「国家主義」が台頭することを私は心配している。
 これを治療するには、各分野の指導者が「自分がまず模範を示す」ことである。自分自身が、身を切られる苦しみを味わって、未来のために、自分を犠牲にしていく決心で戦うべきである。
 インドの独立運動の時、あの厳しい戦いに、どうして人々は耐えられたのか? ある時は「とても無理だ」というような苦しい課題もあった。
 それでも人々がガンジーに従ったのは、なぜか?
 それは「ガンジーは自分がやっていないことを、人々には要求しなかった」からである。
 デモの時も、自分が先頭に立った。いつも「一番大変な所」に行った。じつは、ここに非暴力の真髄がある。
 「まず自分を革命する。それを通して、相手の心を変革する」。これである。
10  方女史「芸術は戦闘なり」
 今回、来日された皆さまを通して、内外の友人の方々から真心の親書等を多数、賜り、感謝にたえない。香港の偉大な芸術の母である方召麐ほうしょうりん画伯からも、素晴らしい書をお届けいただいた。
 この二月、お元気で、八十五歳を迎えられた画伯が、私たち夫婦のために、雄渾にしたためてくださったのである。「芸術とは戦闘なり」と。
 私は、感嘆した。感動した。これこそ、芸術と人生と生命の真髄を生き抜いてきた母の至言である。
 信心も、また「戦闘」である。信仰とは「広宣流布への永遠の戦闘」であると、私は申し上げたい。
11  結びに、「御義口伝」には、「喜とは自他共に喜ぶ事なり」、「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」と仰せである。
 ともあれ、皆に喜んでもらう。会員同志に喜んでもらう。これが指導者である。
 どうすれば、喜んでもらえるか。どう言えば、喜んでもらえるか。その一点に、心をくだきながら、皆を徹して励ましていくこと――この慈悲と智慧にこそ信心の光がある。
 明年、二〇〇〇年は、ここ沖縄で「世界青年平和文化祭」が開催される。(=「世界青年平和大文化祭」として二月五日に開催)
 アジアの友、世界の友が一堂に会して、「創価の世紀」開幕の大文化祭にいたしましょう!
 (沖縄研修道場)

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