Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国県長会議 大誠実の振る舞いが学会の生命

1999.2.3 スピーチ(1998.11〜)(池田大作全集第90巻)

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9  「正義」を勝たせよ! 執念の闘争で
 広宣流布も、大聖人を裏切り、同志を裏切った悪人を、徹底的に追及しなければならない。
 日本的な「水に流す」とか″みそぎ″とかいう慣習は、一見、寛容のようであって、実は、「悪への怒りがなく、けじめがない」だけである。「もう、この辺でいいだろう」は、精神の敗北である。
 日蓮大聖人も、日興上人も、どんな小さな悪も許されなかった。仏法は″人情論″ではない。″正義の大闘争″である。
 戸田先生も笑って言われていたが、大聖人の「口の悪さ」には、だれもかなわない。世間で尊敬されている極楽寺良観に対しても、「蚊のような、虻のような、蝦蟆のような法師である」と、おおやけに言っておられた。
 ″釈尊も、同じように厳しく経文で言っておられるのだから、それでよいのだ″とも書いておられる。
 すなわち「頼基陳状」には「頼基が良観房を蚊蚋蝦蟆かあぶがまの法師なりと申すとも経文分明に候はば御とがめあるべからず」と、あるとおりである。
 日興上人も、「五老僧」とその一味を、最後まで許しておられない。「五人所破抄」を弟子に書かせたのは、身延離山から数えて、何と四十年目である。
 御入滅の直前の「日興遺誡置文」でも、厳しく、「五人の立義一一に先師の御弘通に違する事」――五老僧たちの立てた宗義は、ひとつひとつ、すべて師匠である日蓮大聖人の御化導と違っている――と破折しておられる。
 最後の最後まで、追撃の手をゆるめておられない。正義の勝利のためには、「徹底する」以外にない。「執念」以外にない。中途半端は、敵を喜ばせるだけである。
10  指導者はみずからが変われ!
 再び、御書を拝したい。
 有名な御金言に「大将軍よはければ・したがうものも・かひなし、弓よはければ絃ゆるし・風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり」――大将軍が弱ければ、従う兵卒もふがいない。弓が弱ければ、弦もゆるい。風がゆるければ、波も小さい。これは自然の道理である――と仰せである。
 先日(一月二十五日)、世界的な経済学者のサロー教授と会談したが、リーダーシップ論で意見が一致した。
 「指導者は、まず自分が、変わることである」
 「変化は、トップから起こせ」
 「全体が変わるためには、上が変わる以外にない」
 「組織の成長・変革のためには、指導者が自ら成長し、自らを変革することである」と。
 マハトマ・ガンジーいわく「臆病者は数の力を喜ぶ。しかし、勇敢なる精神をもつ者は、一人戦うことを誇りとする」(『私にとっての宗教』竹内啓二訳者代表、新評論)
 キューバ独立の英雄、ホセ・マルティいわく「勝利は『自分を犠牲にする人々』のものであり、民衆の心は『大胆に行動する人々』のものである」
 この言葉を、皆さまに贈りたい。
 風邪をひかれませんように! また、帰られましたら、同志の方々に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 全同志がますます健康で、ご長寿で、福運に満ち満ちていかれることをお祈りして、私のスピーチといたします。
 (創価文化会館)

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