Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西勝利協議会 わが人生の詩を大勝利で飾れ

1998.11.19 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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12  「悪」を打ち破れ、「善の言葉」で!
 先日(十一月十二日)、私は、「世界詩人会議」の名誉総裁の栄誉をいただいた。ワン副会長とも語りあったが、悪と戦っていないと、本物の「詩」(ポエム)は生まれない。
 ある海外の学者は言っていた。「日本には、精神闘争を戦ってきた人が、きわめて少ない。だから、本当の詩人も少ないのではないか」と。
 アイトマートフ氏も、私との対談集で強調しておられた。
 「悪の本性は、いたるところで、大小にかかわりなく、善を破壊し、善を踏みにじることにあります。(中略)言葉のみが、日々永遠に、悪に抵抗することができます」
 「声」で「悪と戦う」。まさに「声仏事を為す」である。
13  私たちは、毎日、法華経寿量品の「自我偈」を読誦している。
 ご存じのように、「自我得仏来(我、仏を得てよりこのかた)」(開結五〇六㌻)の「自」で始まり、「速成就仏身(すみやかに、仏身を成就せん)」(開結五一〇㌻)の「身」で終わる。つまり、冒頭の「自」と結びの「身」で、「自身」となる。
 「自我偈」は、「自分自身」の尊極にして永遠の大生命力を歌い上げた、壮大な「詩」とも言えよう。(「偈」とは韻を整えた「詩」である)
 自我偈の結びには、「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身(つねに自ら是の念をさく 何を以ってか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと)」――私(釈尊)は、つねにこのことを念じている。すなわち、どのようにすれば、衆生を無上の(これ以上ない)道に入らせ、すみやかに仏にならせることができるだろうか――とある。
 「毎自作是念」である。いつも皆のことを思いやっている。忘れない。無責任にならない――。
 わが人生の詩も、最後の最後まで、広宣流布を「毎自作是念」して、堂々と総仕上げをしていくことである。途中で戦いをやめたり、退いては、これまでの功績を崩してしまう。
 真実の和合僧の学会とともに生き、人生と広布の大勝利を、晴れ晴れと勝ち飾っていただきたい。関西、頑張れ! 京都、頑張れ!
 (京都国際文化会館)

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