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日蓮大聖人・池田大作

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全国総県長会議 「不老不死の大生命力」で進め!

1998.9.23 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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12  「真剣の人」「行動の人」に仏界は涌現
 仏法も「行動」の宗教である。
 釈尊は菩提樹の下で、何を悟ったか。それは「不死の境地」を悟ったのだと、釈尊自身が言っている。
 その不死の境地――不老不死の大生命力――を、どうやって全人類に与えるか。それが釈尊の戦いであったし、仏教の目的と言ってよい。
 釈尊は言った。
 「つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、死者のごとくである」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波文庫)
 ゲーテの「活動せよ!」を思い出させる。
 ゲーテは「来世を信じないものは、みなこの世でも死んでいる、といいたいくらいなのだ」(前掲『ゲーテの対話』)と言った。
 釈尊が「永遠の大生命」を真実に説いたのが、法華経の寿量品である。その対告衆たいごうしゅ(説法の相手)は、だれだったか。それは「実践」の弥勒菩薩であった。
 方便品の対告衆が「理論」の舎利弗であったのと、うってかわって、「慈悲の菩薩行」を代表する弥勒菩薩を相手に説かれた。ここに大きな意味がある。
 「『仏界』という不老不死の大生命力は、『菩薩行』によってしか得られない」ことを示唆しているとも考えられる。
 要するに、広宣流布へ向かっての行動であり、現代においては学会活動である。
 ――もちろん弥勒菩薩を破折する意味もあったと考えられる。
 弥勒菩薩は五十六億七千万年という遠い未来に「仏」として現れるとされていた。しかし、そうではなく、真実の妙法は地涌の菩薩が出現して弘めるのであり、上行菩薩こそが真の「未来の仏」であることを示すために、あえて弥勒菩薩を登場させて破折したとも考えられる。
13  人生の総仕上げをあやまるな
 ともあれ、ゲーテは最愛の長男を失った悲劇から立ち上がって、ライフワークを完成した。五人の子を亡くしながら、生きて生き抜いた。
 いわんや我々には、不滅の妙法がある。何があろうとも、「今世の使命」の実現に向かって、生きて生き抜かねばならない。「自分はもう年だ」とか思って、心まで老いてはいけない。
 これまで大勢の人の面倒をみてきたのだから、最後の最後まで「皆を大事にしよう」「いよいよ、皆の幸福のためにつくしていこう」というのが「本因妙」の仏法である。
 その信心を燃やし続けて、「さすがだ」と言われる人生の総仕上げをしていただきたい。
 総仕上げの時は真剣が大事である。油断すると、転落してしまう。
 真剣とは裏を返せば真心である。真心ほど強いものはない。
 真心とは慈愛であるし、大誠実である。要するに信心である。
 悩みがあればあるほど、煩悩の薪を菩提の炎に変え、仏界の炎に変えて、生き生きと前進してまいりたい。
 皆さまが生き生きとしていれば、会員の皆さまも元気になる。喜ぶ。安心する。希望がわく。
 諸法実相である。大将軍の皆さまの「心」が、「姿」が大切なのである。
 ではまた、お会いしましょう!
 (創価文化会館)

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