Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第23回本部幹部会、第七回婦人部幹部会… われらの前進が「民主」の前進

1998.6.16 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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16  「祈りとして叶わざるなし」
 有名な日寛上人の仰せには、次のようにある。
 「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」(「観心本尊抄文段」文段集四四三㌻)
 こう断言なされている。この大確信を忘れてはならない。
 では、時として、祈りが叶わないように見えるのは、なぜなのか。
 それは、より祈りが深くなるように、また、より強い人間、より深い人生になれるように、そして、より深き福運をがっちりとつけるようにとの御仏智なのである。
 何でも、ちょっと祈って、すぐに叶ったのでは、人間は堕落してしまう。これでは立派な人生が築けるわけがない。会社に働きに行っても、その日に給料がもらえるわけではない。木を植えても、すぐに大きくなるものではない。
 本当に深き祈りも、死にもの狂いの努力もなくして、簡単に祈りが叶ってしまえば、人間を堕落させるだけである。それでは偉大な人間をつくる仏法ではなく、人間を破壊する仏法になってしまう。
 また、「叶う、叶わない」には、さまざまな要因がある。
 ゆえに、大切なことは、祈りは「叶うまで続ける」ことである。祈り続けることによって、自分を厳しく見つめることもできるし、地道な努力の軌道へと、生活を向上させることもできる。
 かりに具体的な結果がすぐには出ない場合でも、祈り続けた人は、何かのときに、祈り以上の結果が証明され、そしてまた、大きく守られていくのである。
 たとえば仕事のことを祈ったとしても、それだけでなく、より広く、大きく、人生万般にわたって、幸福の方向へと軌道修正されていく。あとから振り返って、「これで良かったんだ」という所願満足の自分に、必ずなっていくのである。
 要するに、その人が本当に幸福になり、立派になるための祈りであれば、必ず叶う。すぐには結果が現れない場合でも、長い目で見れば、絶対に叶っていくのである。
17  ともあれ、正しい、偉大なる人生という目的に向かって、健康で、常に希望に燃えて、進んでまいりましょう!(拍手)
 忍耐強く、朗らかに、友と仲良く、本当の同志愛で、この人生を堂々と、悔いなく飾ってまいりましょう!(拍手)
 それでは七月の本部幹部会で、また「朗らかに」お会いしましょう!
 大切な皆さま方のご健康とご活躍を祈っております。どうか、お元気で!
 (創価国際友好会館)

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