Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄各部協議会 青年は「最高峰」をめざせ

1998.2.27 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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12  国家主義――それは「権力の魔性」の産物である。
 今なお、怒りをもって語られる豊臣秀吉の韓・朝鮮半島侵略。韓国(李氏朝鮮)のある学者も、秀吉の軍に捕らえられ、一家ともども日本に連行された。
 死体が山のように積まれた港から、船に乗せられた。彼の幼い子ども二人は、海岸に打ち捨てられ、やがて溺れ死んだ。親族の子は船の上から、日本人が投げ捨ててしまった。
 四国の伊予(愛媛)の長浜に着き、連行されているとき、飢えと疲れから、六歳の娘は歩けなくなった。妻と妻の母が、かわるがわる、おぶって行ったが、川を渡るとき、水中に倒れたまま、力つきて起きられなくなってしまった。
 そのとき、岸の上にいた一人の日本人が、このありさまを見て、駆け寄って来た。
 「ああ! 何とひどいことを! 太閤(秀吉)は、この人たちを連れて来て、一体、何をさせようというのか。お天道さまが見ていないわけがない!」
 日本人の庶民は、涙をこぼしながら、そう言って救い出し、一家を食事とお茶で、もてなしてくれた。
 この学者は書いている。「日本人の中にも、このような心ばえの人がいる。日本人が、死をいやがらず、人を殺すのを喜ぶのも、国の命令が彼らを駆り立てて、そうさせているだけなのだ」と。
 つまり、″権力の命令と、権力による洗脳によって、日本の民衆は韓国を見くだすように教えられ、韓国を残酷に侵略しているのだ。本来、民衆には善意があるのだ″という心であろうか。
 これが、一族のほとんどを皆殺しにされた人間の目から見た「日本の国の本質」であった。
 (姜沆カンハン『看羊録 朝鮮儒者の日本抑留記』朴鐘鳴注、平凡社東洋文庫から。彼は伊予の大洲、京都の伏見などに二年以上も抑留され、秀吉の死後、やっと帰国できた)
13  阪神大震災から三年たつが、関東大震災のときは、「一般市民が朝鮮の人々を虐殺する」という悲劇が起こっている。一説には、警察などに煽られたともいう。
 柳宗悦は、こう書いた。
 「他人を卑下する事に何の誇りがあろう。愛する友を持つ事は吾々の名誉だ。だが奴隷視する者を持つ事は吾々の恥辱だ」
 その通りである。人を尊敬できる人こそが立派なのである。
 「吾々は人間らしく活きようではないか。自らの自由を尊重すると共に他人の自由をも尊重しよう。若しも此人倫を踏みつけるなら世界は日本の敵となるだろう。そうなるなら亡びるのは朝鮮ではなくして日本ではないか」(一九二二年、「朝鮮とその芸術」、『朝鮮を思う』所収、筑摩書房)
 この警告の通りになってしまった。「人道」を踏みつけて、長く栄えるわけがない。
 要するに、日本の民衆は「日本の権力者」という本当の敵から目をそらされて、本来は味方である「隣の国の民衆」を敵視するように仕向けられてきたと言える。
 だからこそ、民衆と民衆の交流こそが、国家主義を打ち砕く根本の力となる。なかんずく、利害にとらわれない「教育交流」「文化交流」「青年交流」が必要なのである。
 韓国は「宝の国」。日韓に「宝の橋」を築かねばならない。
 結びに、「『永久不滅』の沖縄をつくろう!」と申し上げ、記念のスピーチとしたい。
 (那覇市内)

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