Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国青年部幹部会、韓国・鎮川郡「名誉郡… 断じて続け「師子の道」に

1998.1.17 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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8  「不惜身命の弟子」で決まる
 創価の殉教の師子王・牧口先生は、大迫害のなかでも、つねづね断言しておられた。
 「私の足跡の後に、必ず青年が続々と続きます」と。
 牧口先生には戸田先生が続いた。戸田先生には私が続いた。
 私には幾百万人の諸君がいる。諸君が続くことを信じたい!(拍手)
 諸君は、アジアと世界の青年、なかんずく韓国の青年と、もっともっと深く、強く連帯しながら、断固として、この師子の道に続いていただきたい。(拍手)
 先ほどは光栄にも、金郡守は、私どもの「師弟」の精神について語ってくださった。いちばんの急所を鋭くとらえていただき、感謝にたえない。「師弟」こそ日蓮仏法の精髄である。学会精神の根幹である。
 有名な「華果成就御書」にいわく。
 「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず
 ――よき弟子をもつときには、師弟はともに仏果(成仏)に至り、悪い弟子をたくわえてしまえば、師弟はともに地獄に堕ちる。師弟が相違すれば(師匠と弟子の心が違えば)何ごとも成し遂げることはできない――。
 要するに、師弟と言っても、″弟子がどうか″で決まる。
9  牧口先生の栄光は、戸田先生という偉大な弟子をもったことである。
 戸田先生は言われた。
 「思えば、私が二十歳のときに、四十九歳の先生(牧口先生)と師弟の関係が結ばれたのであります。当時、私が理事長をつとめてより、影の形のごとくお供し、牢獄にもお供したのであります。『私は若い。老人の先生を一日も早く(=牢から)お帰ししたい』と思っていた(=昭和二十年の)一月八日に、(=前年の)十一月の牧口先生の死をお聞きした。そのとき、″だれが先生を殺したんだ!″と叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと決心したのであります。
 で、命を捨てようとしたものに、なんで他の悪口、難が恐ろしいものであろうか」と。
 私も同じである。私を陥れようとする作り話なぞ、なんとも思わない。全部、嘘である。
 この道は、生死を超えた峻厳なる「弟子の道」である。真実の「仏法の道」である。「創価の道」である。不惜身命の決心がなければ、まことの弟子の道は貫けない。
10  あの「3・16」の荘厳なる後継の儀式より、今年は四十年――。
 牧口先生、戸田先生の願業は、第三代の私が一切、成就した。一身に迫害を受けながら、私は戦い抜いた。私は勝った。私の「誇り」は高い。(拍手)
 そして、これから先の未来は青年に託す以外ない。わが青年部よ、あとは若き諸君である! と申し上げ、私の話を終わりたい。
 本年も大いに戦おう! 大いに勝とう! 偉大なる歴史を残しましょう!(拍手)
 すべてが諸君自身の歴史となる。また大聖人が御称賛されるに違いない。
 結びに、金郡守ならびに諸先生方のますますのご活躍と、愛する鎮川郡の更なるご発展、そして、偉大なる文化の大国・韓国の無限の栄光を、諸君とともに心よりお祈り申し上げ、私の御礼のあいさつといたします。
 カムサ・ハムニダ(ありがとうございました)。
 (東京牧口記念会館)

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