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日蓮大聖人・池田大作

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関東・信越代表者会議 「勢い」で勝て! 人生も広宣流布も

1997.12.17 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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10  「あの人は生きぬいた」と感動の生死を
 白樺会(婦人部の看護者の人材グループ)の書記長の方が、聖教新聞の連載「『第三の人生』を語る」を読んで、こういう声を寄せてくださった。
 「ローマとパリの羅什である二人の女性が志をもち、変わらず生命を燃やすお話に大変、感動いたしました。フランスのウストン・ブラウンさんが、旅先のホテルのソファに腰かけたまま永眠されたお姿は、理想的なことと思います」
 「私は小学四年生の時、″死″を怖く思い、信心している先輩が、お風呂に入った後、一張羅を着て、眠るように亡くなった話を聞き、勤行を始めました。仕事(看護)で診た多くの方々の姿は、皆、苦しそうで、総決算の厳しさを痛感しています。また、老いるなか、保守と安定を破り、生涯青春の心と行動で、なすべきことをなす困難さも実感します」
 「″審判を下すのは、他人ではなく、あくまで自分″とあります。ものごとは罰や魔ともとらえられますが、原因があるからこそ結果として出ると思います。因果は微妙で、真実は思わぬところから暴露すると痛感しております。亡くなる時に、人々に心から感動される姿に、と願うものです」
11  ともあれ、「死」という人生の総決算が、どうであるかで、永遠が決まっていく。その最後の最後を勝利で飾っていくのが、一生成仏の信心である。
 御書に「正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少きなり」――正法を行じて仏道を得る者は爪の上の土より少ない――と仰せである。
 広宣流布への行動がなければ、仏にはなれない。要するに、学会活動をしなければ、宿命の転換は、できない。
 広宣流布のために、学会とともに戦い切った方々が、どれほどすばらしい晩年を送り、安らかな死を迎えておられるか。生き抜いた、その姿が、三世にわたる永遠の幸福の証明なのである。ゆえに、元気で戦える時に、悔いなく戦い切っておくことである。
 来年もどうか健康で、いちばん、「価値」と「幸福」を包んだ関東・信越の皆さまであっていただきたい。
 どうか、よいお年をお迎えください。
 (山梨教学研修センター)

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