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日蓮大聖人・池田大作

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第17回本部幹部会 「民衆勝利」の旭日よ昇れ

1997.12.9 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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26  「勇猛精進」を合い言葉に前進
 明年は一九九八年。その四十年前(一九五八年)の新年、戸田先生は「大白蓮華」に巻頭言を寄せられた。
 ご逝去の年である。まさに、戸田先生の遺言といってよい。その題名は、ただ一言、「勇猛精進」であった。これには深き意味があると思う。
 思えば、日蓮大聖人の御入滅は、「常陸の国」へ向かわれる道中であった。
 「常陸」は「日立」に通ずる。「日」の「立」つ地である。世界へ向かって旅立っていかれる意義とも拝せられようか。まことに不思議である。
 戸田先生いわく「すでに創価学会は、七十余万世帯という大発展をとげ、日本の全国民の注視の的ともなっている。それだけに三類の強敵も、ますます激しくなるであろう。いかに敵が強くても、恐れてはならない。従ってはならない」。
 「『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』のご聖訓を日夜誦して、きょうよりも明日、今月よりも来月、ことしよりも来年と、いよいよ信心強盛に励むことが、一年の計の基本であり、一生の計の根本となるのだ。
 まず、肚を決めよ! 決まったら、勇ましく進め!」(『戸田城聖全集』第一巻)と。
 この戸田先生の遺言を、私どもは、生命に刻んで、邁進していきましょう!(拍手)
27  御聖訓にも「三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず之を顕すは法華経の行者なり」――三類の強敵を顕さなければ、法華経の行者ではない。三類の強敵を顕すのが、法華経の行者である――と。
 また「謗法ほうぼうを責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべし」――謗法を責めないで成仏を願うことは、火の中に水を求め、水の中に火を尋ねるようなものである――と明快に仰せである。
 さらに「法華経の敵をだにも・めざれば得道ありがたし」――法華経の敵を責めなければ、成仏はできないのである――とも述べられている。
 難が起きたら、そのときこそ成仏できるのである。ゆえに、喜ぶべきである。「難来るを以て安楽と意得可きなり」――難が起きてくることが安楽であると心得なければならない――のである。
 私たちは、あえて難を呼び起こして戦っている。「法華経の行者」として、仏になることは間違いない。今世で、いったん仏の生命を固めれば、永遠に、永劫に仏である。そのためには、現在の少々の苦難は耐えるしかない。
 皆さまには、学会員であるがゆえの、さまざまな苦労もあろう。しかし、だれからも、何の批判もされないようでは仏道修行にならない。長い目で見れば、誹謗された分だけ、自分の眷属、味方も多くなっていく。それだけの境涯になっていくのである。
 どうか皆さまは、喜び勇んで、人生を「名優」のごとく生きていただきたい。それぞれの使命の舞台で、それぞれの役柄を、さっそうと名優のごとく演じながら、楽しく、仲良く進んでいただきたい。
 お元気で、よいお正月をお迎えください。全世界の皆さま方のご多幸を心から祈ります。
 「勇猛精進」を合言葉に、来年も戦いましょう!
 (東京牧口記念会館)

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