Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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神奈川・海外代表者協議会 創価の同志こそ最高の幸福者

1997.9.15 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

前後
8  国府尼への御手紙で、大聖人は仰せである。
 「欽明きんめいより七百余年が間・世間につけ仏法によりても日蓮ほど・あまねく人にあだまれたるものは候はじ
 ――欽明天皇の時代に仏法が伝来してから七百余年の間、世間のことにつけても、仏法のことに寄せても、日蓮ほど広く人に憎まれたものはいないでしょう――。
 「これは・ひとえに我が身には失なし日本国を・たすけんと・をもひしゆへなり
 これは、決して私に過失があったからではありません。ひとえに、日本国を助けようと思った結果なのです――。
 日本のために尽くした大聖人は本来、世間的な意味からも″国の宝″のはずである。それなのに、たたえるどころか、迫害し、悪口を流し、策謀をめぐらして、大聖人をなきものにしようとしたのが日本という国なのである。
 それから、さらに七百年。今、御書に仰せの通りの難を受けているのは、創価学会しかない。その学会と苦楽をともに生きゆく人生は、無上道の誉れに包まれる。必ず、これ以上はないという福徳の人生となる。
 大聖人は、こう語りかけておられる。
 「しかるに尼ごぜん並びに入道殿は彼の国に有る時は人を・をそれて夜中に食ををくり、或る時は国のせめをも・はばからず身にも・かわらんと・せし人人なり
 ――ところが尼御前と(夫の)入道殿は、私が佐渡の国にいた時は、人目を忍んで夜中に食べ物を届けてくださり、ある時は国の役人の責めをもはばからず、日蓮の身にも代わろうとした方々です――。
 庶民は強い。凶暴な国家悪を、ものともせずに、大聖人をお守りしたのも庶民であった。
 わが学会は、この庶民の「強さ」と「強さ」の連帯によって、二十一世紀への激流を、断固として勝ち進んでゆく。
9  結びに大聖人は、遠く離れて会えない尼御前に、こう仰せである。
 「日蓮をこいしく・をはしせば常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををがませ給え、いつ何時となく日月にかげうかぶる身なり、又後生には霊山浄土に・まいりあひ・まひらせん
 ――日蓮を恋しく思われるならば、出づる太陽、夕べに出づる月を常に拝されるがよい。私は、いつでも日月に姿を浮かべる身です。また、今世を終えたあとは、ともに霊山浄土にまいり、お会いしましょう――。
 私たちは生々世々、三世にわたって一緒だよ、一緒に進むのだよ――こう温かく励ましをされたのである。夫妻は年をとっていたが、子どもがいなかった。その心を知ったうえでの御言葉だったのではないだろうか。
10  何があっても、朗らかに、負けない人生を
 ともあれ、「第三の人生」を、どう総仕上げしていくか。「高齢社会」の最大の焦点である。
 調査によると、日本の総人口の一割が七十歳を超えたという。六十五歳以上は一五・六%である。(九七年九月十四日発表の総務庁の調査)
 戸田先生はよく「人生、最後の四、五年が勝負である」と言われていた。
 それまでがどんなによくても、最後が惨めであれば、人生は負けである。最後の四、五年が本当に幸福であれば、その人は勝利である。
 何があっても、たとえ病気になっても、「負けない」ことである。心が断じて負けなければ、その人は勝利者である。
 そして「朗らかに」生きることだ。強い心の楽観主義で、よいほうによいほうに、明るいほうに明るいほうに自分の一念を向け、周囲もその方向に向けていくことである。何が起きても、楽しんでいくことである。
 人がうらやむ、どんな有名人にも、人知れぬ悩みがあるものだ。外見と裏はらに、地獄のような苦しみを心に抱えている人も多い。創価学会の和合の世界に生き抜く以上の幸福はなく、充実はないことを確信していただきたい。(拍手)
 戸田先生の「原水爆禁止宣言」から四十周年。神奈川の地に、私は深い意義を感じている。
 きょうお会いできなかった同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝え願いたい。海外の皆さまも、遠いところ、本当にご苦労さま。
 (神奈川文化会館)

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