Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回沖縄最高会議 信心があれば、そこが常寂光土

1997.2.23 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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6  仏の使いを迫害する社会は滅ぶ
 大迫害のなか、佐渡での日蓮大聖人は、どういう御心境であられたか。その一端を学ぶ意味で、「経王御前御書」を拝したい。
 経王御前とは、四条金吾の娘であり、大聖人が名づけ親であられたと考えられている。「経王」とは「一切経の王」である「法華経」のことである。
 信頼する門下の四条金吾に、大聖人は、こう仰せになられた。
 「今の代は濁世と申して乱れて候世なり、其の上・眼前に世の中乱れて見え候へば皆人今生には弓箭の難に値いて修羅道におち後生には悪道疑なし
 ――今の時代は、濁世といって(人の命などが濁り)乱れた世である。その上、世の中が乱れているのは眼前の事実であるので、人は皆、今世には弓と矢の難(戦乱の苦しみ)にあって、(争い合う)修羅道に堕ち、後生には(地獄・餓鬼・畜生界という)悪道に堕ちることは疑いない――。
 「而るに法華経を信ずる人人こそ仏には成るべしと見え候へ
 ――しかし、法華経を信ずる人々こそ仏に成ると経文には説かれている――。
 「御覧ある様にかかる事出来すべしと見へて候
 ――ご覧のように、このようなこと(自界叛逆難=内乱、他国侵逼難=他国からの侵略など)が起こるのは、経文に説かれた通りである――。
 「故に昼夜に人に申し聞かせ候いしを用いらるる事こそなくとも科に行はるる事は謂れ無き事なれども、古も今も人の損ぜんとては善言を用いぬ習なれば終には用いられず世の中亡びんとするなり
 ――だから、昼に夜に、人々に言い聞かせていたのに、(その警告を)用いられないだけならばともかく、罰せられるとは、理不尽なことである。しかし、昔も今も、人が滅びていく時は、善言を用いないものであるから、(私の言葉も)結局、用いられないで、世の中は滅びようとしているのである――。
 「是れひとえに法華経・釈迦仏の御使を責むる故に梵天・帝釈・日月・四天等の責を蒙つて候なり
 ――これは、ひとえに、法華経ならびに釈迦仏の御使いを迫害するゆえに、梵天・帝釈・日天・月天・四天等の諸天善神の責めを(日本が)受けているのである――。
7  正法を「毀らん人には弥よ申し聞かすべし」
 「又世は亡び候とも日本国は南無妙法蓮華経とは人ごとに唱へ候はんずるにて候ぞ、如何に申さじと思うとも毀らん人にはいよいよ申し聞かすべし、命生て御坐ば御覧有るべし
 ――また、たとえ今の世が滅びても、必ず日本国は、人々が口々に南無妙法蓮華経と唱えるようになっていくのである。どんなに(題目を)唱えまいと思っていようとも、(そのように妙法を)そしる人には、いよいよ言い聞かせなさい。もし、生きておられるならば、(これからの世の成り行きを)ご覧なさい――。
 「又如何に唱うとも日蓮に怨をなせし人人は先ず必ず無間地獄に堕ちて無量劫の後に日蓮の弟子と成つて成仏す可し
 ――また、いかに(南無妙法蓮華経と)唱えても、日蓮に敵対した人々は、必ず、まず無間地獄に堕ちて、無量劫を経て(その罪をつぐない)、しかる後に、日蓮の弟子となって、成仏するのである――。
 御書は、あらゆることの本質を映し出す「明鏡」である。
 大聖人は、″仏の使いを迫害する社会は、諸天善神の怒りにふれて、必ず滅ぶ″と断言されている。そして、″どんなに世が乱れようとも、たとえ世が滅びゆこうとも、必ず、妙法が広宣流布することは疑いない。いよいよ、この妙法を語りに語っていきなさい″と仰せになっている。
8  今も、まさに乱世である。何の基準も、何の展望も、希望もなくなってきている。何が幸福で、何が不幸かも、わからない。しかし、仏法だけは間違いない永遠不滅の法則である。信心し抜いた人は、絶対に幸福になっていく。
 苦労があり、悩みがあっても、全部、変毒為薬(毒を変じて薬となす)できる。そして頑張った分だけ、生々世々、無上の幸福を満喫しゆくためのエネルギーとなり、今世の楽しき思い出となる。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「すべからく心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき
 ――すべからく、一心に南無妙法蓮華経と自分も唱え、人にも勧めなさい。それだけが、人間として生まれた今世という一生の思い出となるのです――。
 ゆえに私どもは、御本仏・日蓮大聖人の御使いとして、「いよいよ」また「いよいよ」の信心で、誉れある人生勝利の道を、最高に朗らかに進んでまいりたいと申し上げ、本日のスピーチとさせていただく。

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