Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表研修会(第2回) 第三の人生=高年時代を「実りの秋」に

1997.2.1 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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7  御書には、法華経を引かれて、「長寿を以て衆生を度せん」とある。
 「長寿」とは、根本的には、法華経の如来寿量品で明かされた「如来の長遠の寿命」のことである。法華経を行ずる人には、わが胸中に「永遠なる仏の生命」がわいてくる。
 「更賜寿命(さらに寿命を賜う)」と言って、生命力が強くなり、寿命を延ばすこともできる。
 しかも、菩薩は、自分のためだけに、長生きしようとするのではない。自らの経験や、慈悲と一体の智慧を生かして、いよいよ存分に人々に尽くすために、長生きしようというのである。微妙にして、しかも重大な一念の違いである。
8  大聖人は、「地涌の菩薩」を率いる指導者のことを、「上行菩薩と申せし老人」と仰せである。
 仏法上、これには深き意義があるが、ここでは「老人」という言葉に否定的なイメージが、まったくない。むしろ反対に、荘厳なまでの偉大さが、うかがわれる。
 たとえば――。揺るぎない信念の固さ。たゆみなき慈愛の行動。何ものをも恐れぬ勇気。絶妙な対話の力。決定した忍耐の心。何とも言えぬ気品と威厳。何が起こっても、自在に解決していく大海のごとき智慧――など。
 「人生の達人」の持つ人徳が、馥郁ふくいくと薫っている――そうした姿が浮かんでくる。これが、悪世の真っただ中で、人間主義を広げゆく、「地涌の菩薩」の姿と言えよう。
9  牧口先生は六十代・七十代で大偉業を
 思えば、私どもの初代会長・牧口先生が、仏法に巡りあったのは、実に五十七歳であった。
 「第三の人生」――一生の総仕上げを、牧口先生は、仏法とともに開始したのである。それまでも、大著『人生地理学』等の発刊、また名校長として、偉大な足跡を残してきた先生である。しかし、先生の人生の本懐たる大偉業は、五十代の後半から、六十代、そして七十代で、成し遂げられた。
 牧口先生は、つづられている。
 「一大決心をもって、いよいよ信仰に入ってみると、『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』との日蓮大聖人の仰せが、私の生活中になるほどと、うなづかれることとなり、言語に絶する歓喜をもって、ほとんど、六十年の生活法を一新するに至った。
 暗中模索の不安が一掃され、生来の引っ込み思案がなくなり、生活目的がいよいよ遠大となり、恐れることが少なくなった」(六十四歳のころの文章。『牧口常三郎全集』第八巻)と。
 牧口先生は、あの狂気の軍国主義の時代にあって、国家権力と真っ向から対決し、七十三歳で、獄中に殉教された。
 私どももまた、この「慈父」のごとく、最後の最後まで、わが生命を燃やしきってまいりたい。そして、「第三の人生」の本舞台で、「希望」と「勇気」と「慈愛」の光を、灯台のように、明々と放ってまいりたい。

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