Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第百回本部幹部会 「百福の人生」の歴史をつづれ

1996.5.24 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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17  「働ける時に断固、働くのです」
 悠々自適の境涯となった現在でも、女史は、これまでと変わることなく、毎朝七時半に起きて、すがすがしく絵の練習を始められる。
 「私はこう生きる」――人生は結局、自分で決めるしかない。人に決めてもらうものではない。女史は「絵描きになる」と決めたから絵を描く。同様に、仏法者は仏道修行を行う。これが道理である。
 かつて女史は、師匠から次の言葉を贈られた。
 「人は三〇%の才能と、七〇%の努力で決まる」
 この師の一言を、彼女は片時も忘れたことはないという。
 「師匠」をもつ人は幸せである。師弟の道によってこそ、人間は「向上と成長の軌道」を進んでいける。「師匠」をもたない人は自由に見えるかもしれない。しかし、基準がなく「無軌道」の人生となっていこう。
 「一日に六、七時間も働いて疲れませんか?」との質問に、女史はこう答えている。
 「できる時に(絵を)描いておくのです。いつ何どき、働けなくなるか、わかりませんからね」
 「環境が許す時に、断固として筆をとって、努力を続けなければなりません」
 「環境が許す時」とは、健康の時ともいえる。病気になれば、働きたくても、動きたくても、思うようにはできない。自らが決めた道を歩めること自体、幸福なのである。ゆえに、健康な時に労を惜しまず、広宣流布のために働くことである。努力することである。
 要領よく、表面だけは、やっている格好をして、その実、大変なことは人にやらせ、うまく泳いでいく――それでは人生は失敗である。自分で自分を崩してしまう。中途半端は、最後には必ず後悔するであろう。
 「徹する姿勢」――これこそ、幸福のカギである。
 人生、あっという間に過ぎてしまう。わが道に徹して、「後悔なき所願満足の人生」をつづってまいりたい。
18  人生の幾山河を乗り越えてきた方女史。
 女史が描く人物は皆、伸びやかに楽しそうな表情をしているといわれる。
 彼女自身、とても楽観的な方であり、大(おお)らかな境涯を感じさせる方である。その楽観主義の泉は、どこにあるのか――。女史は語っている。
 「小さいところから物ごとを見てはいけません。小さなことに悩んでいると、いざという時、小さなことにとらわれて、解決できることまでも解決できなくなってしまいます。
 大きいところから物ごとを見れば、解決できないようなことも、おのずと解決できるようになるものです」
 大局観に立てば、人生は開ける。なすべきことが見えてくる――これも人生の重要な智慧であろう。
 きょうは記念すべき「第百回」おめでとう!長時間ご苦労さま。ありがとう!

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