Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部各種グループ総会 仲良く人生の満開の花を

1996.5.16 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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6  彼女は「学会員になって本当によかった」と喜んでおられた。
 同志がいることは幸福である。戸田先生は、「中年以上になった女性にとって幸せなことは、何でも話し合える友人がいるということだ」とも言われていた。
 彼女を折伏されたのは関西婦人部の方で、今も第一線で元気に活躍されている。
 日蓮大聖人は「すべからく心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」──ただ一心に南無妙法蓮華経と自分も唱え人にもすすめなさい。これのみが人界に生まれた今世の思い出となるのである──と仰せである。
 広宣流布のために行動したことこそが、最極の思い出となり、歴史となる。
 人生、あっという間に終わってしまう。仏法のために生きてこそ、最後に本当に「所願満足」の人生となる。そういう人生を飾らなければ、自分が損である。
7  広布に生きる女性を最高に称讃
 なお、古径画伯が娘の玲さんに贈られた名画「兎」も先般、東京富士美術館にご寄贈いただいた。
 古径画伯は、可憐な兎の姿に娘さんへの思いを重ね合わせて描かれたのであろうか。満月のような、大きな父の慈愛にいだかれた娘の幸福が、私にはひしひしと伝わってくる。
 兎といえば、こういう御書がある。
 「兎は経行の者を供養せしかば天帝哀みをなして月の中にをかせ給いぬ・今天を仰ぎ見るに月の中に兎あり。されば女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈はたなごころを合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手みてをのべて御頂おんいただきをなでさせ給うらん
 ──(昔)兎は「経行」をしている人(歩いて修行している人)のために(わが身を焼いて)供養したので、(その修行者に姿を変えていた)帝釈天はこれに心を動かされ、月の中に兎をおかれました。そのために、今、天を仰ぎみるとき、月の中に兎がいるのです。
 ですから女性の御身として、このような末法の濁った世にありながら法華経を供養なされたのですから、必ずや大梵天王も天眼をもって御覧になり、帝釈天は合掌して(あなたを)礼拝され、地神(大地の神)は、御足を大切に、押し戴いて喜び、釈迦仏は霊山浄土から御手をさしのべて、あなたの頭をなでられることでしょう──。
 この御文を、尊敬する学会婦人部の皆さまに捧げさせていただき、本日の記念のスピーチとしたい。

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