Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第九十回本部幹部会 青年には「苦労」こそ財産

1995.6.28 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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2  けさ、何人かと一緒にラジオ体操をしたとき、「仏法と健康」について私は語った。
 仏法は「生命の法」であり、「健康の法」である。健康で長生きして、充実した人生を生きる智慧を教えている──と。
 仏法の究極は不老不死である。それを教えるのが法華経である。
 一次元から言えば、爾前経、小乗教の戒律などは、心身を整え、生命を″健康″にするための教えであった。それが、宇宙大の境涯、永遠の生命を覚知するための素地となる。そうした素地のうえに、我が小宇宙が大宇宙と一体である、とする法華経は説くのである。
 生命が健康でなければ大境涯を悟れない。本当の一念三千にならない。
 健康即仏法である。生活即信心である。ゆえに、交通事故を起こさないことも、体調を崩さないよう努力することも、すべて仏法に含まれる。
 一切の行動、すべての活動も「自分の健康のためなんだ」と自覚した、賢明な一日一日であらねばならない。特に無冠の友の皆さまは、「健康第一」であっていただきたい。「無事故第一」であっていただきたい。そこに仏法の「心」があることを忘れないでいただきたい。
3  鍛えがない人生は、幸福がない
 きょうは、特に学生部・青年部の諸君も記念日で集われている。(六月三十日は「学生部結成記念日」)二十一世紀を頼む、大切な大切な諸君のために、私は、きょう語っておきたい。
 また本日は、「7・3」記念の第九十回本部幹部会であり、皆、元気旺盛に集ってこられて、私は本当にうれしい。
 皆さまは、来る日も来る日も広宣流布のために戦っておられる、尊い方々である。
 我々の誇りは何か。それは、日蓮大聖人の仏法を弘めていることである。私どもは日蓮大聖人の教えを守っている。日蓮大聖人の御一念を拝し、その仰せのままに一切の行動をしている。他の誰のためでもないのである。
 全部、日蓮大聖人に捧げ、日蓮大聖人に包まれ、日蓮大聖人に通じている行動である。ここに、創価学会のすごさがある。この王者の自覚をお願いしたい。
4  「春の喜び」──それを知るのは、「冬のつらさ」を知る人だけである。人生も同じである。
 スイスの哲学者ヒルティ(一八三三〜一九〇九年)は、『眠られぬ夜のために』の著者として有名である。彼は言った。
 「喜びとはなんであるかを知る者は、元来、多くの苦しみを耐え忍んできた人々のみにかぎられます。自余じよ(その他)の人々は、真の喜びとは似ても似つかぬ単なる快楽を経験しているにすぎないのです」(『不幸における幸福』岸田晩節訳、『ヒルティ著作集』7所収、白水社)
 苦労をしていない人に、「本当の喜び」はわからない──その通りである。
 これまでの背信者、反逆者、退転者。彼らは全部、学会を利用しながら、本当の苦労を避けていた。弘教の苦労も、広宣流布のさまざまな苦労も、個人指導の苦労も、機関紙拡大の苦労も、本当にはしていない。全部、自分のエゴゆえの学会利用であり、最後は行き詰まって自滅していった。
 苦労しないから、成長もなく、真実の信仰の喜びもわからなかった。
5  ヒルティは言う。
 「人生の幸福は、艱難が少ないとか無いとかいうことにあるのではなく、それらのすべてを常勝的にかがやかしく克服するにある」(『眠られぬ夜のために』小池辰雄訳、同著作集4所収)
 あらゆる困難を悠々と乗り切っていく、そこに人生の幸福はある、と。仏法の煩悩即菩提にも通じる人生観である。
 世間には、苦労しないで、うまく泳いでいる人たちがいる。楽して得をしよう、偉くなろう、と。しかし、その結末が幸福かどうか。虚飾は、いつかはげる。見栄は、いつか行き詰まる。
6  行き詰まったら「貫け!」
 自然の世界では、冬は必ず春となる。人間の世界がそうなるには何が必要か。ヒルティは叫ぶ。
 「貫け! この短言は、内的生活の危機にあたっていくたびとなく、ほとんど魔術的な効力を発揮するものである」(前同)
 貫け! 持続せよ! どんな困難があろうと、貫いていけ!
 この一言の中に、一切がある。これが彼の結論であった。彼は呼びかける。
 ──知性が眠りに落ちそうな時。また、けだるい気分に負けそうな時。その時こそ「貫け!」。
 この短い言葉は、健全な意志に衝撃を与え、目覚めさせる。
 そして高貴な魂は再び自由になって、真実に向かい、正義に向かって動くであろう。ゆえに、あなたが、むなしさやけだるさに「縛られている」と感じたら、その時こそ「貫け!」。
 組織のこと、仕事のこと、人間関係のこと──当然、悩みや、行き詰まりはあるであろう。その時こそ、「貫け!」。前進を貫いて、自分で自分を勝利させる以外に道はない。
 生きることが、何となく物憂く感じられることもあるかもしれない。何かに「縛られている」ように感じる時。すべてが受け身になっている時。何となく迷いが感じられる時。その時こそ、受け身の一念を逆転させて、「さあ、この道を貫こう!」「きょうの使命を貫こう!」。こう決めていく時に、その一念の中に、真実の「春」が到来する。花が咲いていく。
 「貫く」。それは私どもでいえば、題目をあげていこう、一人また一人に語っていこうという実践である。冬から春へ──転換の具体的な道を知っている私どもは幸せである。
7  青年部のなかから、創価学会の「二十一世紀の大指導者」が陸続と出てほしい。そう強く期待するゆえに、「徹底して苦労を」と重ねて申し上げたい。
 戸田先生は、よく言われていた。
 「私は、なぜ会長になったのか。それは、私は妻も亡くしました。愛する娘も亡くしました。そして、人生の苦労を、とことん、なめつくしました。だから会長になったのです」と。
 苦労をし抜いたからこそ、会長の資格がある。これが戸田先生の哲学であった。
 学会の役職は名誉職ではない。すべて責任職である。ここに学会の役職の伝統がある。
 創価学会は、苦しんでいる人、悩んでいる人を救うためにある。ゆえに学会のリーダーは、人々の苦しみ、会員の心を、だれよりもわかる人でなければならない。そうでなければ、仏法の指導者の資格はない。学会の真実の幹部ではない。苦労してこそ、「信心」も深まるのである。
 苦労を避け、立場の権威で人を動かそうとする人間は「指導者」ではなく「権力者」になってしまう。そうなれば、皆を苦しめ、信心の世界を破壊する魔物である。日顕がその代表である。
 私自身のことになるが、信頼する諸君のために、敢えて語り残しておきたい。今は亡き小泉隆理事長は言われていた。
 「創価学会のために、若き日から一番、苦労されたのは、だれが何と言おうと池田先生である。一番苦労された先生が会長になるのが当然である」と。
 これが小泉理事長の一貫した信念であった。「事実」を厳然と知っていたからである。
 あらゆる角度から戸田先生を守り、学会を守り抜いてきた私の闘争から見れば、今の青年部は遊びのようなものである。
8  よく語り合った松下幸之助さんの言葉が、今でも耳朶から離れない。
 「池田先生、やっぱり、若い時の苦労は、買ってでもせにな、あきまへんなぁ」と。
 今の時代は、皆、苦労から逃げようとしている。苦労することを、時代遅れのように思っている。また苦労するのが損のように勘違いしている。そうではない。苦労は全部、自分のためである。
 甘えようと思えば、いくらでも甘えられる″鍛錬なき時代″である。鍛錬なきゆえに、自己が崩壊し、日本という国自体が、崩壊の様相を呈してきた。
 こういう時代だからこそ、自分から求めて「苦労しよう」と自覚した人が得をする。何ものにも「負けない」自分へと、鍛錬し抜いた人が勝つ。
 その貴重なる「自己教育」の世界はどこにあるか──。ここにある。創価学会にある。ここにこそ人生を最高に勝利させる「道」がある。
9  諸葛孔明の自己教育に時代
 諸葛孔明(一八一〜二三四年)は『三国志』の華である。
 孔明といえば「星落秋風五丈原」(作詞・土井晩)。この歌は、戸田先生の心に通じると私が思い、先生の前で歌った曲である(昭和二十八年一月)。歌を聴かれた先生は涙を浮かべておられた。
 その思い出を込めて、青年部の諸君に、諸葛孔明の生い立ちを通して話しておきたい。
 諸葛孔明の大活躍は有名だが、彼の青年時代──「自己教育」の時代は、あまり知られていない。
 孔明は、どうやって自分をつくったのか。後年の大活躍の原因は、どこにあったのか。孔明の生い立ちには諸説があるので、それらを勘案して語りたい。
 孔明は十歳くらいで母を亡くした。少年には大変なショックであった。この世から光が消えたような──。
 父は後妻を迎える。父は、ある郡のじょう(副知事)であった。その父も、孔明が十二歳くらいで死んだ。
 孔明は、こうして幼くして母を失い、父を亡くした。特別の財産があるわけでもない。残されたのは、父の後妻である継母、そして孔明の兄、姉、弟であった。
 どう生きるべきか──一家は途方に暮れた。相談の結果、叔父の諸葛げんを頼ることになった。
 一家は徐州じょしゅうの故郷を捨て、叔父の住む荊州けいしゅうへ向かった。
 南へ、南へ──。中国は広い。移動の途中、少年は多くの流民と出会った。
 世は乱世である。後漢末期で王朝は衰え、群雄が覇を競っていた。戦乱によって殺された人々。焼かれ、破壊された町々。流浪する難民の数も限りなかった。
 少年は、民衆の惨状を目の当たりにした。
 「何ということか。人間は幸福になるために生まれてきたのではないのか?なのに、どうして人間は、こんなにも不幸なのか?」
 「国はどうしてこんなにも乱れているのか?」
 少年は悩んだにちがいない。そして、乱れた世を救う″何か″を求めていった──。
 やっと叔父の家に着いた。しかし、ここにも落ち着くことはできなかった。叔父が、さらに南の揚州ようしゅう太守たいしゅ(知事)に任命されたからである。
 また移転──孔明は、兄とも別れ、さらに南へ、叔父とともに移っていった。
10  孔明の誓い「戦いは絶対に負けてはならぬ」
 このように広い中国の各地を転々としながら、生命の危険を乗り越え、風雨と闘い、空腹を耐え、そのなかで孔明は勉強したのである。
 豊かな自宅の、きれいな机で、悠々と学んだのではない。それでは、あの「常勝将軍・孔明」は絶対にできなかったであろう。孔明の学問は″生きた学問″であった。私も、そうである。
 苦しむ民衆と交わり、語り、庶民の心の機微も学んだ。自分の生命を守る智も身につけた。精神を練った。肉体を鍛えた。
 渡り歩く各地の風土・地理・人情・風俗を調べ、鋭い目で観察し、自分のものとしていった。また各地の様子から指導者の善しあしを見抜いた。「我れ以外、皆我が師」──作家・吉川英治氏の言葉の通りであった。
 そのなかで、彼は「書物」を学んだ。書物の教えを、体験を通して、ひとつひとつ身につけていった。「知識」を「知恵」に変えていった。ここが偉大である。
 しかも彼の″学び″は、目的がはっきりしていた。この乱れた世の中をどう救うか。未来をどうすれば一番よいか──ここに焦点があった。目的が明確だったゆえに、学んだことが何ひとつ無駄にならなかった。こうして苦労が全部、孔明の成長の″こやし″となったのである。
11  孔明は、叔父とともに、叔父の任地・揚州についた。しかし、そこには思いもかけぬ事件が待っていた。他の実力者から任命された別の「知事」がやってきたのだ。
 「私こそ本当の知事だ」「いや私こそ」……。そのころ国の命令系統が乱れ、こうした混乱が少なくなかった。
 ″二人の知事″が争うことになった。戦争が始まった。実力で決着をつける以外になかった。
 しかし──叔父は敗れた。追放されてしまった。孔明は敗戦の惨めさを骨身に徹して知った。
 彼は敗れた兵隊たちとともに、命からがら逃げ回った。叔父も逃走中に殺されたという説もある。
 「よし!」。孔明は誓った。血涙にまみれて、我が身に言い聞かせた。
 「二度と負けてはならない。絶対に勝たねばならない。負ければ、これ以上の不幸はない」
 「人生は勝負」である。「仏法も勝負」である。釈尊も日蓮大聖人も「断じて勝て」と仰せである。(釈尊は魔軍に打ち勝つゆえに「勝者」と呼ばれた。日蓮大聖人は「仏法と申すは勝負をさきとし」と仰せである)
12  青年よ、自分をつくれ、苦労でつくれ
 孔明は再び流浪の身になった。その時、十七歳と言われる。荊州けいしゅうに戻り、その後、十年間、自分を鍛えに鍛え、「一剣」を磨きに磨いた。「不敗」「常勝」の智と力を養った。
 立ち上がる″その時″を目指して、苦労し、勉強し、あらゆるものを吸収した。
 ″その時″が訪れた。二十七歳、主君となる劉備玄徳りゅうびげんとくと出会う。ここから『三国志』の、あの大活躍が始まるのである。
 ちょうど青年部の諸君の年代である。老いてからでは遅すぎる。若き日から存分に活躍すべきである。そうでなければ人生に後悔を残す。
13  「孔明」という名前は、「はなはだ明るい」という意味である。
 その名のごとく、青年時代の闇また闇を破り、世の中の闇また闇を破って、人々を照らす灯台のごとくなろうと決めた。鍛え抜かれて、知者は明るくそびえ立った。
 諸君も、ひとりの「孔明」であっていただきたい。どこに行っても、智で勝利を照らし、人格で人々を照らす指導者であってもらいたい。
 すぐに怒ったり、文句を言うような、弱い心であってはならない。強く、強く、太陽のような明るさで、広布の指揮をとってもらいたい。
 結論すれば、不世出の天才・孔明の師匠は、だれであったか──。それは「苦労」という二文字であったといえよう。
14  「苦労」即「喜び」である。
 ルソーの教育の書『エミール』。この書についても戸田先生とよく語り合った。電車の中でも対話したものだ。『エミール』には、こうある。
 「子どもを不幸にするいちばん確実な方法はなにか、それをあなたがたは知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」(今野一雄訳、岩波文庫)
 何でも自由に手に入れば、人間は堕落してしまう。結局、弱々しく、不幸な、人生の敗北者ができる。環境に恵まれていながら不幸になる場合が多いのは、これである。
 「苦労がない」ということは「勝利の原因がない」ということである。ゆえに青年は、出来上がった環境の上に安住してはならない。
 出来上がった組織の上で、いばったり、虚勢を張っても、むなしい。そんな役職や立場だけなら虚像である。蛍火である。本当の人間の光ではない。魂の光ではない。
15  師弟とは弟子の戦いの歴史
 青年は、「自分の力」で、「自分の苦労」で、「自分の行動」で、「新しい歴史」をつくっていくべきである。
 私は、その思いで歴史をつくってきた。広宣流布の大いなる歴史を、世界中に残してきた。ただ一人、大難を受けながら。
 あとは諸君である。諸君も諸君の立場で道を開いていくべきである。腹を決めて苦労し抜いて、偉い人になってもらいたい。諸君は妙法を持っている。苦労が全部、生きないわけがない。
16  青年にとって、職業の悩みは大きい。自分には、どういう職業が向いているのか。今の職業で、いいのだろうか──こう悩む人も多いにちがいない。
 私も青年時代に、悩んだ。はじめ私は、戸田先生の出版社で少年雑誌の編集をした。あこがれの職業であった。しかし、経営が悪化し、雑誌は廃刊。
 私の仕事は、一番嫌いな金融の仕事に変わってしまった。しかも、月給さえもらえない時期が続いた。冬になっても、オーバーも買えなかった。しかし私は、文句など一言も言わなかった。願いはただ戸田先生の苦境を打開することであった。そのために、ひたむきに働いた。
 私は、戸田先生を我が師匠と決めていた。一度そう決めたのだから貫くしかない。師弟は、「弟子がどう戦うか」で決まる。
 戸田先生も、牧口先生を師匠と定めたゆえに、ともに牢獄に入り、辛酸をなめ尽くされた。しかし、戸田先生は「あなた(牧口先生)の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」と感謝を捧げられたのである。何と崇高な弟子の姿か。これが「本物」の師弟である。師弟は弟子で決まる。
17  戸田先生「その場で″なくてはならない人″に」
 戸田先生は、職業の悩みをもつ青年に対し、こう指導されていた。
 「職業を選ぶ基準。これは三つある。すなわち美・利・善の価値だ。『自分が好き(美)であり、得(利)であり、社会に貢献できる(善である)仕事』につくのが、だれにとっても理想である。しかし、実社会は、君たちが考えるほど甘くない。はじめから希望通り理想的な職業につく人は、まれだろう。思いもかけなかったような仕事をやらなければならない場合のほうが多い」
 たとえば──。
 ″生活ができて、社会の役に立つが、どうしても向いていない、好きになれない″(利があり、善だが、美ではない)
 ″「好き」で「人の役に立つ」職業でも、食べていけない″(美と善があっても利がない)
 ″「もうかって」「好き」な仕事でも、社会の迷惑になる″(利であり、美であるが、悪である)
 このように、現実には「美」「利」「善」の三つの価値は、なかなかそろわない。特に今は、不景気でもあり、就職の困難は増している。
18  それでは、どうすればよいのか。戸田先生は教えられた。
 「こういう時、青年は決して、へこたれてはいけない。自分の今の職場で全力を挙げて頑張ることだ。『なくてはならない人』になることだ。
 嫌な仕事から逃げないで、御本尊に祈りながら努力していくうちに、必ず最後には、自分にとって『好きであり、得であり、しかも社会に大きな善をもたらす』仕事に到着するだろう。これが信心の功徳だ。
 それだけではない。その時に振り返ると、これまでやってきた苦労が、ひとつの無駄もなく、貴重な財産として生きてくるのです。全部、意味があったとわかるのだ。私自身の体験からも、こう断言できる。信心即生活、信心即社会であり、これが仏法の力なんだよ」と。
 戸田先生は、不世出の天才的な指導者であられた。先生の言葉の正しさは、私の経験からも本当によく実感できる。
19  自分が今いる場所で、勝つ以外にない。
 仏法でも「本有常住ほんぬじょうじゅう」(本来そなわっていて、三世にわたって存在すること)「娑婆即寂光しゃばそくじゃっこう」(現実の娑婆世界が、本来、仏の住する素晴らしい世界であること」と説く。
 その場で光ることである。当面の仕事を避けないで、全力で頑張り抜いていけば、必ず、一番よい方向へと道が開けていく。
 やがて″これまでの苦労には、全部、意味があった。すべて、自分の財産になった″──こうわかるようになる。その時こそ、諸君は勝利者である。
20  内村鑑三は言った。
 「人生の成功とは実は他の事ではない、自分の天職を知って、之を実行する事である」と。
 しかし「大抵の場合においては天職は発見せられず、又実行せられずして、人は己が欲せず又己に適せざる事を為しつつその一生を終るのである」(随筆「地位の満足」、『内村鑑三選集』1所収、岩波文庫)と。
 人生の真実を突いた言葉である。現実は、確かに厳しい。
 これに対して、妙法を持った青年は幸福である。必ず、「これでよし」という人生にしていける。
 「自分は″幸福青年″である。苦労それ自体が幸福なのだ」。こう思える境涯になっていただきたい。そのほうが賢明である。
 その人の生命の真実は、姿に表れる。「諸法実相」である。
 自己の境遇を嘆いて、いつも下ばかり向いて沈んでいるようでは、自分がみじめであるし、周囲も評価してくれるはずがない。
 いつも、快活に生き生きと行動したほうが得である。そのほうが道が開ける。一念ですべては決まる。
21  職場は人間修行の場所
 一人一人が、それぞれの道で「成功者」になっていただきたい。「成功者」とは「中途半端ではない」ということである。自分が決めた道を最後まで貫き通すことである。
 そのためには、「職場」を「自分を成長させる人間修行の場」と自覚することである。「人間修行の場」とは「仏道修行の場」であり、「信心修行の場」といえる。そうとらえていけば、一切、文句は消える。いつもつまらない文句を言っている人間ほど哀れなものはない。
 戸田先生はよく言っておられた。「ウソをついたり、人をごまかす、ずる賢いキツネのような青年にはなるな!」と。
22  本年も、意義深き「7・3」を元気に迎えることができてうれしい。
 どうか、皆が「大勝利輝く七月」であっていただきたい。
 お体を大切にして、健康で、長寿であっていただきたい。そして創価学会らしく、仲よく、勢いよく、朗らかな前進をしてまいりましょう! きょうは本当にありがとう。全国の皆さま、ご苦労さまでした。

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