Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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福島最高協議会 みちのくに「人間の黄金郷」が

1995.6.20 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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10  ナチスの教訓──「権力への監視」を止めれば危険
 それでは社会についてはどうか。社会はどういう時、安定し、どういう時、不安定なのか。
 トインビー博士が、ヒトラーと会見した経験をもとに、この点に触れておられる。(「ヒトラーの講義」長谷川松治訳、『交友録』所収、オックスフォード大学出版局。参照)
 ──人間精神のどんな深層から、ナチスのように徹底した悪が、溶岩流のごとく噴き出したのか?
 この二十世紀に、ヨーロッパの偉大な国民のひとつ(ドイツ人)が、どうして狂信者たちに屈服してしまったのか。ゲーテを生んだ国が、なぜヒトラーに屈してしまったのか?
 その原因を見極めずして、これから同様のことが他の国で起こらないと、だれが言えようか──と。
 トインビー博士は、こう結論されている。
 ──「ナチスの教訓」は何か。それは、文明社会というものは、どこでも、また、いつの時代も、決して安定したものではない、ということである。文明は放っておいて、自然に安定していると思っては決してならない。自覚的な「果てしのない監視」と「絶えまない精神的努力」とが必要なのである、と。
 油断すれば、いつ狂気のような動きに足をすくわれるかわからない、との警告である。
 宇宙と同じく、社会もまた「停滞は死」なのである。
 常に、悪を監視する。権力を監視する。そして「より良き社会」への理念を掲げ、絶えまなく、向上しようと努力する。その精神的努力によって、はじめて安穏な社会に近づくのである。
 今、日本の社会には、こうした「精神的努力」がなくなっているように思えてならない。
 その意味で、皆さまの存在がどれほど光を放っていることか。どれほど根底から社会を安定させ、安全にさせていることか。
11  安穏は闘争のなかにある
 「宇宙」も「社会」も「人生」も、大闘争があってはじめて「安定」する。
 真の安穏は安逸の中にはない。安穏は大闘争の中にある。
 御義口伝には「難来るを以て安楽と意得可きなり」──(自行化他にわたる仏道修行をしていけば必ず難がある)その難の起きることが、じつが安楽の境涯を築いていけることを心得ていきなさい──と教えられている。
 使命を果たす。その行動の中に幸福はある。広宣流布の組織のなかで頑張り抜いてこそ、人生の真の安穏はある。広布の組織の活動から離れて、現代における真実の仏道修行はない。
 日蓮大聖人は、こう仰せである。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり」──今、日蓮および門下が南無妙法蓮華経と唱えて折伏していくその姿は、あたかも大風が吹いて(あらゆる草木をなびかせて)いくようなものである──と。
 虚空を渡る大いなる風のごとく、唱題を根本に、さわやかに行動したい。幸福の太陽の方向へ、人の心を動かしていきたい。時代を動かしていきたい。
12  東北の方々は、これまで本当に、よく頑張ってこられた。何ごとも、仕上げが大切である。人生も最後で決まる。
 「私は、これをやった」「これだけ歴史を残した」「こんなにも幸福の実証を示した」と自分自身で納得できる、完ぺきな人生の総仕上げをお願いしたい。
 福島の皆さん、お幸せに。福島の夜明け、おめでとう。

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