Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関東最高会議 仏教は「宗教的な教育運動」

1995.6.15 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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11  孔子の言行をまとめた「論語」は、全編これ指導者論である。
 日本でも古くから読まれてきたが、「人を喜ばせ、安心させよ」という孔子のメッセージは、日本の指導者に十分届いたとは言えない。かえって「論語」は、封建的な印象が広まり、「いばる指導者」の保身に使われてきた一面もある。
 孔子は言った。
 「えせ君子(偽善者)は道徳の盗人である」(「郷原きょうげんは徳のぞくなり」陽貨編)
 指導者として尊敬され、その地位を利用し、享受しながら、実際には指導者として何の貢献もしない。結果を出さない。指導者としての徳がない。そうであれば、地位を盗む盗人である。
 世の中には「宗教の盗人」もいる。宗教の名前だけ盗んで、自分の野望を実現しようとする。日顕宗がそうである。
 また「芸術の盗人」も、「学問の盗人」もいるであろう。
 しかし、「道徳の盗人」が多いからといって、道徳がいらないことにはならない。「芸術の盗人」が増えたからといって、芸術がいらないことにはならない。
 「宗教の盗人」が出てきたからといって、宗教がいらないことにはならない。当然の道理である。
 大切なのは「本もの」と「にせもの」を見破る英知の眼である。
12  牧口先生「宗教をもたない人は背骨がない」
 牧口先生は「宗教の違いは、金・銀・銅・鉛のような違いではない。金・銀・銅・鉛には、それぞれの使い道があるが、誤った宗教は百害あって一利もない。(宗教の違いは)薬と毒の違いである」と言われた。
 本物はどこまでも本物。にせ物は、どう飾っても、にせ物である。
 また牧口先生は、こうも喝破された。
 「宗教は人生の背骨である。宗教をもたないで生きるのは、背骨がなくて歩くようなものである。正しい宗教をもつことが、まっすぐの背骨をもつことになる」と。
 まことに偉大な先生であった。
 ともあれ「人間をつくる」ための宗教であり、組織である。組織は手段である。人間の成長が目的である。
 「弥弥いよいよ実なれば位弥弥いよいよ下し」──(天台大師は、説いている)その教が真実であればあるほど、より機根の低い民衆を救っていける──。
 これは「法」に関しての言葉であるが、敷衍して言えば、人間も立派に成長すればするほど、より多くの人を救える。指導者はその責任を自覚して、自分を教育し、成長しなければならない。
 自分が成長した分だけ、後輩も育つし、地域に広宣流布は広がっていく。
13  関東の皆さまは、これまで本当に苦労を重ねてこられた。いよいよこれから、そのご苦労が花開く時代となると確信する。
 そのためにも、派遣幹部をはじめ指導者は、一にも二にも「自分に厳しく」「人には安心を」と自覚していただきたい。
 ありとあらゆる知恵を使い、あたたかい言葉を使って、皆を安心させよう、喜ばせよう、希望を与えよう──と。その心が自分を光らせていくのである。
 お会いできなかった皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
 「関東の夜明け」万歳と申し上げ、祝福のスピーチとしたい。

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