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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3」祝賀第87回本部幹部会 われらは″人間として″輝く

1995.4.26 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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15  方便品・寿量品講義を連載開始
 ここで話題を変えたい。
 最近、新入会の友やSGIの方々などから、「勤行の際に読んでいる経文の意味を知りたい」という声が数多く寄せられている。
 そこで私は、「五月三日」を期して、「法華経 方便品・寿量品講義」を、新たに聖教新聞に掲載してまいりたい。(拍手)五月四日付から開始する予定である。(=一九九五年五月四日〜九六年三月十三日。後に『法華経 方便品・寿量品講義』三巻として発刊)
 方便品・寿量品の講義といえば、戸田先生が会長就任以来、七年にわたって、「一級講義」として繰り返し行ってくださった(「方便品寿量品講義」として『戸田城聖全集』第五巻に所収)。懐かしい思い出である。
 先生は、釈尊・天台の立場からの「文上の読み方」と、日蓮大聖人の御立場からの「文底の読み方」を立て分けられた上で、末法における正しい法華経の読み方をじつにわかりやすく、明快に教えてくださった。
 単なる理論的説明ではなく、一人一人を納得させ、それをバネにして苦悩をはね返させ、広々とした境涯を教えたい、人生の大いなる道を開かせてあげたい──こういう慈愛と智慧の名講義であった。
 戸田先生の講義ですべて尽くされているが、私は弟子として、先生の講義を原点としながら、現在の時代・社会に、より即した形で、もう一度、わかりやすく語ってまいりたい。
 緑の野辺の小道を、皆さんと一緒に散策しながら語り合うようなつもりで、進めていきたいと願っている。(拍手)
16  終わりに、日蓮大聖人の幸福観について、一言、述べておきたい。
 大聖人は常に「人間」を見つめておられた。それでは人間の究極の幸福は何か。
 戸田先生は、幸福には成仏という「絶対的幸福」と、状況によって変化する「相対的幸福」とがあると話されていた。
 日蓮大聖人は、こう仰せである。
 「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文・あに自受法楽にあらずや
 ──一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱えるよりほかに遊楽はないのである。経(法華経の寿量品)には、「衆生が遊楽する所」とある。この文は、法楽(妙法を味わう楽しみ)を自ら受けるということを言っているのである──。
 これは門下の四条金吾が迫害を受けていた時の、激励の御手紙である。(金吾は、主君の江間氏への折伏の後、冷遇され、同僚の武士からの迫害もあり、苦境の底にいた)
 一切衆生──すなわち、どんな国の人間であれ、どんな金持ちであれ、有名人であれ、どんな政治家であれ、権力者であれ、どんな才能の持ち主であれ、究極においては「南無妙法蓮華経と唱える以外に遊楽はない、幸福はない」と仰せである。
 これが、三世永遠の、久遠元初から尽未来際までの仏であられる日蓮大聖人の結論であられる。
 皆さまは、この「幸福の根本法」を知っておられるのである。持っておられるのである。すでに最高の幸福の軌道に厳然と入っている。その自覚を、誇りを忘れないでいただきたい。
 題目を唱え抜いた人には、だれもかなわないのである。その人こそ勝利者である。
17  私のもとには、全国から毎日、たくさんの報告が寄せられる。
 なかでも、今年になって目立つのは、「壮年部の方々が本当によく働いてくださっている」「青年部の成長が目覚ましく、活動も非常に活発にやっている」という声である。(拍手)
 先日も申し上げた通り、会合、打ち合わせは短時間で、価値的にお願いしたい。
 早めに休んで、疲れをためないことである。疲れをためては敗北である。
 幹部は、皆のために、くれぐれも工夫し、配慮し、この一点を必ず実行していただきたい。
 大切なお一人お一人である。皆さまの栄光の人生をお祈りし、記念のスピーチを結びたい。
 全国の皆さま、お元気で! ありがとう!
 (創価国際友好会館)

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