Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第2回沖縄最高会議 民衆の世論が歴史を変える

1995.3.27 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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6  「一番大変な所へ!」それが釈尊の心だった
 御書に次のような物語が説かれている。
 その昔、珊提嵐国さんだいらんこくという国に、千人の王子がいた。しかし、その千人の王子たちは皆、穢れた国土である娑婆世界を捨てて、浄土へ行ってしまった。それはなぜか。
 大聖人は仰せである。
 「此の娑婆世界は何なる所と申せば十方の国土に父母を殺し正法を誹謗ひぼうし聖人を殺せる者彼の国国より此の娑婆世界へ追い入れられて候、例せば此の日本国の人大科有る者の獄に入れらるるが如し、我が力に叶はざれば哀愍せずして捨て給ふ
 ──この娑婆世界は、どんな所であるかと言えば、十方の国土で父母を殺し、正法を誹謗し、聖人を殺した者が、それぞれの国々からこの娑婆世界へ追い入れられてきたのである。たとえば、この日本国の人で、大罪を犯した者が牢獄に入れられるようなものである。(千人の王子たちは)自分の力では及ばないので、衆生を哀れむことなく、捨ててしまわれたのである──。
 しかし、そうしたなか、ただ一人、宝海梵志ほうかいぼんじという勇者が立ち上がった。
 「宝海梵志一人請け取りて娑婆世界の人の師と成り給ふ、宝海梵志の願に云く我未来世の穢悪土の中に当に作仏することを得べし、即ち十方浄土より擯出せる衆生を集めて我れ当に之れを度すべしと誓ひ給ひき
 ──(ところが)宝海梵志一人が(この罪深き衆生を救うことを)引き受けて、娑婆世界の人の師となられた。宝海梵志の立てた「願」に言うことには、″私は未来の世の穢れた悪土の中において必ず成仏するであろう。そして、十方の浄土から追い出された衆生を集めて、私は必ず救うであろう″と。こう誓われたのである──。
 「其の宝海梵志と申すは今の釈迦如来なり、此の娑婆世界の一切衆生は十方の諸仏に抜き捨てられしを釈迦一人計りして扶けさせ給うを唯我一人と申すなり
 ──その宝海梵志というのは、今の釈迦如来である。この娑婆世界の一切衆生は、十方の諸仏から抜き捨てられたのを、釈尊一人だけが、助けられたのである。これを「唯我れ一人のみ(能く救護を為す=救い護る〈開結二三四ページ〉)」というのである──。
7  一番大変な所へ、自ら進んで入っていく。今の時代に、こんな立派な人間がいるであろうか。仏の使いでなければできえない尊き行動である。
 これこそが真の仏法者の魂であり、この人こそ仏法者の使命を知った人であるにちがいない。
 困難をあえて引き受け、あえて挑戦していく。その心意気こそが自分自身を革命し、自分自身を大きく磨いていくものだ。
 人生は悩みの連続である。しかし、自分の今いる場所から逃げてしまえば、結局、後悔と不満しか残らないであろう。
 大変な所であればあるほど、喜び勇んで戦う。その場所で、永遠に崩れない大境涯を築き上げていく──これが地涌の勇者の人生である。
 だれびとにも「わが使命の舞台」がある。その舞台で、全員が「わが勝利劇」を演じていただきたい。
 沖縄は素晴らしく発展された。沖縄は勝った。沖縄を私は愛する。私は感謝する。
 愛する沖縄の″人生の名優″″広布の名女優″の皆さまに栄光あれと申し上げ、祝福のスピーチとしたい。
 (沖縄)

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