Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1回青森県総会 広宣流布は「幸福の開拓」闘争

1994.8.26 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

前後
13  伝は「大地という土壌」を開拓した。それは、そのまま「精神の土壌」の開拓であった。
 我らも開拓したい。我が命に「福徳の田園」を。
 稲造は、小さいころから祖父の開拓の姿をじっと見ていた。
 子供は鋭敏である。利口である。大人の生きる姿勢を全部、見抜いている。そのまま感じ取っていく。
 ″おじいちゃんに負けないぞ″──稲造は「太平洋の架け橋」になろうと大志を抱いた。後に、国際連盟の事務局次長ともなり、活躍した。
 これが東北の「精神の大地」に育まれた素晴らしい歴史である。
 東北の人は信頼できる。都会人には、要領と、人を利用するずるさが多い。そんなインチキに迎合する必要はない。
 東北は東北らしく、地道に、大誠実でいけばよい。最後は、その人が勝つであろう。
14  「今の労苦」は「永遠の栄光」、ゆえに勇んで
 開拓者の精神とは何か──稲造は語っている。
 「開拓者はあとから従いて行くものではない」「人の前に立って行く者だ」(『人生雑感』講談社学術文庫。以下、引用は同書から)
 私どもも開拓者である。常に皆の先頭に立ち、率先して道を開く。皆に代わって、襲いかかる嵐を一身に受けて立つ──これが開拓者である。
 ずるがしこく苦難を避けて立ち回っていて、「開拓」ができるはずがない。
15  稲造は開拓の労苦について、こう語っている。
 「かれこれ難くせをつけるものであるから、それらの非難を顧みないで、ただ自分の信じたとおりをウンとやればよい」
 その通りである。勝てば、非難の声は称賛の声に変わる。
 非難は、開拓者の証なのである。誉れなのである。
 いわんや、私どもは、広宣流布という最高に崇高な「生命の開拓闘争」をしている。
 「幸福の開拓闘争」をしている。
 「難こそ誉れ」「難こそ安楽」である。
 キリスト教でも、無数の殉教者がいる。自分の信念のために入獄した人も数知れない。そうした迫害に比べれば、悪口など、ものの数ではない。
 稲造は「開拓者には当座の利益、当座の名誉、当座の安楽の三つは禁物である」とも言う。目先にとらわれて大事業はできない。
 皆さまは輝く「永遠に栄光」の開拓者であられる。諸天善神が、三世の諸仏が、日蓮大聖人が、皆さまを守られないわけがない。(拍手)
 ともに健康で、長生きして、素晴らしい人生を一緒に生き抜きましょう!
 きょうは本当におめでとう!
 (東北研修道場)

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