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日蓮大聖人・池田大作

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第二回北海道青年部総会・第六回栄光総会… 戦う気迫の青春は美しい

1994.8.20 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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16  「勇気」で人生を切り開け
 ミケランジェロの「ダビデ」像には、際立った特色があるといわれる。それは何か。
 言うまでもなく「ダビデ」とは、古代のイスラエルで宿敵の巨人(ゴリアテ)を倒し、祖国を救った、羊飼いの「無名の青年」である。
 それまで「ダビデ」といえば、敵の首を討ち取って踏みつける″勝利の場面″として描かれていた。(一四四〇年ごろ、ドナテルロの「ダビデ」像など)
 しかしミケランジェロは違った。彼は、戦い終えて勝ち誇るダビデではなく、まさにこれから戦おうとする、挑戦の姿、出発の姿を、堂々と彫ったのである。
 ──敵を一点に見つめて動かない、鋭い眼差し。戦いを目前にして、「よし、戦おう」「おれは戦ってみせる」という緊張感と気迫。そして祖国を救うのだとの決意が全身に表れている。勇気凛々たる姿、誇り高き青年像である。
17  ミケランジェロは、「ダビデ」の像によって、人間とは「罪深い、あわれな生き物」ではなく、「自らの知性と意志と勇気で人生を切り開いていく主体的な存在」であることを訴えようとしたのではないかとされる。
 当時、フィレンツェの自由と独立は、内外ともに危機にさらされていた。ミケランジェロの「ダビデ」像は、議会の広場の中央に置かれ、困難に立ち向かう市民の団結を大いに鼓舞したのである。
 勝利を誇る姿──それも美しい。しかし、それ以上に美しく、気高いのは″さあ、戦うぞ!″″いよいよ、これからだ″という、挑戦の姿であろう。
 勝ち誇る人間は、傲慢になったり、調子に乗ったりする。人々を見下すようになる場合もある。ミケランジェロは、そういう人間を彫ろうとはしなかった。
 尊いのは、「戦う」一念である。ある意味で、勝っても負けても、「戦う」こと自体が偉いのである。何があろうと「戦い続ける」人は、すでに人間として「勝っている」といえる。
 青春とは「闘争」の異名である。すべてが闘争である。
 なかんずく、人類のために最も根本的な大闘争は「広宣流布」である。
 広布のために、尊い情熱の炎を燃やしておられる皆さまの日々に、「永遠の栄光」が刻まれていることを、確信していただきたい。(拍手)
18  きょうは白石文化会館にも、人材グループ、音楽隊、合唱団、文化局、社会局、役員の方々などが、集っておられる。大変に、ご苦労さまです。
 また、この会場には、奥尻島からも代表が来られている(拍手)。利尻島、礼文島の方々も、ようこそ!
 男子部、女子部、学生部、未来部の皆さん。青年部・婦人部・文化局の人材グループ、十六の大学会──。すべての参加者の皆さま、すべての同志の皆さま、きょうは本当にご苦労さま。ありがとう!
 間違いなく、「二十一世紀は、北海道の時代」である。青年部の諸君に「北海道の未来を、万事よろしく」と申し上げ、記念のスピーチを終わりたい。
 (北海道講堂)

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