Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第5回長野県総会 わが人間革命の勇気のドラマ

1994.8.8 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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16  御書には、説かれている。人に生まれて、国王や大臣などの身となって、これほどの楽しみはないと思っても、それは、仏法の眼から見れば「夢の中のさかへ・まぼろしの・たのしみなり」──夢の中の栄えであり、永続性のない儚い、幻のような楽しみにすぎない──と。
 少しも偉大ではない、と。
 真実の幸福とは何か。この根本課題は「三世永遠」という次元から考えなければ、絶対に解けない。
 ゆえに、大聖人は、四条金吾に「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」──蔵に蓄えた財宝よりも、身の財(健康を基本に身につけた技能、資格など)がすぐれている。その身の財よりも、心の財が第一の財なのである。この手紙を御覧になってから以後は、心の財を積んでいきなさい──と仰せなのである。
 どんなに有名になろうと、権力を欲しいままにしようと、また、巨万の富を蓄えようとも、それだけでは、一番大切な「心の財」は積めない。積めないゆえに、時とともに福運を消していく。
 結論していえば、学会活動こそが、最高の「心の財」を積む行動なのである。
 その意味で、学会員の皆さまは、毎日毎日、三世にわたって消えない福徳の貯蓄をしているようなものである。
 「心の財」の大長者──その人こそ、人間としての帝王である。真の仏法者である。
17  長野の方々は、信頼できる。人格と文化性のある方々が多い。「長野さえ健在であれば学会は健在である」との確信で、これからも私とともに、朗らかに前進していただきたい。
 (長野研修道場)

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