Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第2回ヨーロッパ・アジア交流会議 振興が深化するほど開かれた人間に

1994.6.12 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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2  この本ではたとえば、イギリスのSGIメンバーの交友関係を調査した部分では、次のような分析をしている。
 すなわち、多くの新しい宗教運動は、その一員になることによって、今までの人間関係や、外の世界とのつながりを断ってしまう傾向が強い。
 ところが、SGIの場合は、他の宗教運動にみられるような全体主義的傾向(個性を無視する傾向)とは反対に、開放的で寛容な精神に基づく運動を展開している。
 その結果、信仰の深まりとともに、組織における親しい友人も増えていくが、同時に、組織外の友人との交流も積極的に広げている。つまり、信仰が深まれば深まるほど、活動に参加すれば参加するほど、メンバーは内外に、大きな友情の輪を広げていることが明らかになった──と。
 ウィルソン教授は、こうした、社会に広く開かれたSGIの活動の在り方を、高く評価されている。
 また、この研究では、メンバーの多くが、自立した個人として、社会のさまざまな分野で活躍していることに注目している。そして、これは、人間の生命の尊厳を説き、他の人に奉仕する重要性を教える大聖人の仏法の必然の帰結である──と結論している。
3  SGIの運動は個人の創造性を開花させる
 日本でも芸術部の皆さまが活躍されているが、イギリスでも、芸術や社会奉仕の分野で活躍されているメンバーが多い。
 ウィルソン教授らは、芸術の分野での高い比率に着目し、次のような指摘をされている。すなわち、これまでキリスト教は、過去、何世紀にもわたり、芸術に対して、否定的な立場をとることが少なくなかった。とくに演劇や音楽などの舞台芸術には、敵意さえ、あらわにしてきた。
 ところがSGIの運動では、価値の創造、そして人間の生命を豊かにする文化・教育の重要性を訴えながら、それらを真剣に推進している。
 この宗教は、芸術に温かな手を差し伸べながら、人々の創造的才能を開花させていく宗教である。したがって、メンバーに芸術家が多いことも何ら不思議ではない──と。
 さらに、SGIが平和問題や環境問題、難民救済、教育・文化活動など幅広い分野で活躍していることを教授は高く評価されている。その意味で、SGIは新しい社会運動の中で群を抜いていると。
4  ウィルソン教授らは、今回の宗門問題についても鋭い指摘をされている。
 結論から言えば、今回の問題は、起こるべくして起こった問題であり、過去のキリスト教の歴史などに鑑みても、何も驚くにはあたらない、と述べておられる。
 すなわち宗門と学会の組織を比較・分析したうえで、こう書かれている。
 「宗門は保守的な集団であり、規模も小さく、社会から孤立している。そのうえ日本は数百年にわたり外の世界から隔絶した鎖国状態にあったため、宗門の視野もそれだけ狭いものとなっている。(中略)宗門の顕著な特徴は、権威主義と身分意識、そして階級制度である。
 (これに対して)在家団体である創価学会は、民主主義、平等主義であり、僧侶たちの考え方に特有の身分主義を認めないのである。両者の分裂の歴史は、両者の根底にある、こうした傾向性を的確に描き出している」──と。
 世界の知性、世界の宗教研究の第一人者が、本質を、どう見ているか。その一端を紹介させていただいた。
5  「なんでも相談できる人」をもとう
 次に「なんでも相談できる人をもとう」と申し上げたい。
 初期の仏典に、こういう言葉がある。
 「ことが起こった時に、友だちのあるのは楽しい」と。
 何かあった時に相談できる人が身近にいるか、どうか。いろいろな問題があっても、よき友・よき先輩に率直に相談していける人は、見ていて安心である。
 反対に、見栄を張ったり、遠慮したりして、だれにも相談できず、一人で悶々と悩んでしまう場合は心配である。また、かわいそうである。
 大聖人は「すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ」──少しくらい壮健な者でも、一人きりであれば、険しい道には倒れてしまう──と仰せである。
 その意味において、戸田先生はよく言われていた。
 「人生には、さまざまなことがある。ゆえに必ず、何でも相談できる人を一人、心に置いておくことが大事である」と。
 偉大なる「仏法の指導者」即「人生の達人」であられた戸田先生の至言である。
6  なかんずく、青春の世界には、危険な落とし穴も多い。
 その中にあって、″何でも相談できる人を一人もつ″ことは、いつでも避難できる「安全の門」をもつことになる。
 今日は、このことを一点、訴えておきたい。とともに、皆さま方自身も、「何かあったら、あの人に相談すれば大丈夫だ」と、内外を問わず、皆から信頼される人に成長していただきたい。
 ″理解のある人″″慈愛のある人″″ウソのない人″″口の堅い人″、そして″福運のある人″──そうした人には、皆、安心して何でも相談できる。そういう「人間学の賢者」のスクラムを広げていただきたい。
 日本では、本年より女子部、男子部にも「相談室」が開設された。また、壮年部、婦人部では、新たに「相談室長」制が沖縄からスタートした。全国の相談室、また、教育部の教育相談室の担当者の皆さまに、私はいつも深く感謝している。
7  ワーズワース「万象を貫く崇高な或る存在」
 イギリスにはスリランカ出身の世界的な天文学者であるウィックラマシンゲ博士がおられる。
 博士とは、ある時は、タプロー・コートで、ある時は、日本の美しき緑の高原で、宇宙と人間が織りなす妙なるドラマを語り合ってきた。
 詩をこよなく愛される博士は、イギリスの詩人ワーズワース(一七七〇〜一八五〇年)を愛読されている。
 ワーズワースは、こう歌っている。
  私は
  高遠な思いのもたらす歓喜で私をゆすぶる
  ある存在を感じるようになった。それは、
  遙か深く混りあった、あるなにものかの崇高な感じ
  その住みかは落日の光であり
  円かなるわたつみであり、生ける大気であり
  青空であり、また人の心のなかにあり
  あらゆる思考するもの、あらゆる思考の
  あらゆる対象を動かし、万象を貫き流れる
  運動であり、精神であるものだ。
   (「ワイ河再訪に際し、ティンターン寺院の数哩上流で書いた詩章」前川俊一訳、『世界の詩』37所収、彌生書房)
 この大いなる精神的存在を感じるがゆえに、彼は牧場や森や山々を愛し、それらの中に自分自身を育み、導く、自身の「人間的存在の核心」を見る──と書いている。
8  トインビー博士は常に、「宇宙の背後にある究極の精神的な実在」について語られていた。ワーズワースが、この有名な詩で歌っている「或る存在」にも通じるものかもしれない。
 トインビー博士は私との対談の一つの結論として、この精神的実在は人格神のようなものではなく、宇宙に遍満する「法」であると考えられる、とされた。
 ワーズワースが歌い、トインビー博士が求められた究極の「法」は、「妙法」であると私どもは信ずる。
9  信心の「心」が無量の宝を生む
 「妙法」ほど偉大なものはない。「信心」ほど不思議なものはない。
 アソカ大王は、過去世に砂の餅を仏に供養し、大王と生まれた。まっすぐに、燃え立つ思いで仏を求めた「心」の妙用であり不思議な働きである。
 信心の「心」が本当に固まれば、それは無量の宝を生み出す「宝の蔵」となる。
 SGIと異体同心で進む「心」が本当に躍動していれば、必ず一切を変毒為薬して、勝利できる。
 その国の広宣流布のために、その国の幸福のために戦い抜いた人は、必ず、その国の、また世界の大長者、大指導者と生まれる。
 ゆえに今世を悔いなく、思い切り行動しぬくことである。
 日蓮大聖人が仰せになられた「一生成仏」との御言葉を、立派に証明する一生であっていただきたいと申し上げ、スピーチを結びたい。
 (イギリス・ロンドン市内)

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