Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄・九州合同協議会での語らい 「法主絶対論」はまったくの邪義

1994.2.21 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

前後
6  明治以後にも、身延派など日蓮宗各派の管長たちとともに読経・唱題するという″謗法と同座″の法主(日正にっしょう)がいた。
 時の法主(日柱にっちゅう)を追い落とす策謀をめぐらした高僧らのことも伝えられている。
 もしも法主が絶対だとしたら、法主を無理やりに追い落とすことは、大謗法のはずである。しかし当時の僧侶の多くは、そうは思っていなかったことが、はっきりとわかる。
 つまり宗門の「法主絶対論」など、その時の都合によって、勝手に言っているだけの邪義なのである。
 日淳にちじゅん上人は、創価学会が「流通広布の時代」を開くまでの宗門の歴史を、「護持の時代」とされた。
 七百年間、かろうじて大御本尊を「護持」してきた歴史であった。しかも、その間に、宗門を濁らせた法主が何人も出現している。法主絶対論は、過去も今も「謗法の法主」が出現している厳然たる″事実″によって、完全に否定されているのである。
 戦争に協力し、謗法を容認し、学会に神札を受けるよう指示させ、拒絶した牧口先生・戸田先生を苦しめた法主(日恭にっきょう。後に焼死)さえいた。
7  大聖人は、「師堕つれば弟子堕つ弟子堕つれば檀那堕つ」──師が地獄に堕ちれば弟子も堕ちる。弟子が地獄に堕ちれば檀那も堕ちる──と。
 いわゆる仏法で説く″悪鬼が身に入った僧″に従う僧侶と檀徒は、悪鬼の眷属となり、ともに無間地獄へ堕ちる。大聖人が、そう仰せなのである。
 これが仏法の方程式であり、法則なのである。
 また大聖人は、天台法華宗を密教化して堕落させた比叡山延暦寺の座主・慈覚に対して、六十編を超す御書で、二百ヶ所以上にわたって厳しく呵責されている。
 ″正宗″を邪宗に転落させた者の罪業は、慈覚とさえ比較にならないほど重い。
 ゆえに、責め抜かねばならない。それが御本仏・日蓮大聖人の仰せだからである。
 「もう、このくらいでいいだろう」とか「ほどほどにしておこう」という心があれば、その心が「信心」を破り、三世にわたる「福徳」を破ってしまう。
8  今、宗教革命の時
 戸田先生は、教えられた。
 「行学に励み、御書を心肝にそめ、大聖人の仏法に通達して迷いなく、今はいかなる時かを凝視して、大聖人のみ心を心とし、日興上人のご遺誡をわが命として、努むべきである」(「青年訓」、『戸田城聖全集』第一巻)と。
 時を知らねばならない。今は「いかなる時」か。宗教革命の時である。極悪を、断じて「追放すべき時」である。
 戸田先生は、逝去の直前、悪侶に対して「追撃の手をゆるめるな」と遺命された。この大精神を、絶対に忘れてはならない。
9  沖縄は発展している。これからも何回も訪問し、ともに「平和の要塞」を総仕上げしていきたい。(拍手)
 九州は「先駆の九州」である。宗教革命でも先駆であっていただきたい。
 勝利のためには、「知恵」と「真剣」の両方が必要である。真剣であっても知恵がなければ勝てない。知恵があっても真剣でなければ勝てない。
 沖縄と九州の連帯と触発で、ともに新たな「黄金時代」を築いていただきたい。
 とくに、今回、沖縄の皆さまには、大変お世話になり、深く感謝申し上げたい。おかげさまで『新・人間革命』第二巻の執筆も進んだ。
 お会いできなかった方に、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。ありがとう。また来ます!
 (沖縄研修道場)

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