Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

各地の代表による最高協議会 歴史に輝く「創価革命の一年」

1993.12.27 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

前後
22  極悪と戦う者は極善
 戸田先生は、こう述べておられる。
 「この経において結論していうのには、禿人(=毛髪がない人)といって、職業僧侶、すなわち生きんがため食わんがためのみの僧侶が世に充満して、少しも僧侶として世人を救う力のない時代に、国のため、世のため、法のために、不惜身命のものが現れたときには、その僧侶等は、徒党をつくって迫害するであろう」(『戸田城聖全集』第一巻)
 そのときに敢然と立つ者が「護法の大功徳」を得るのである。
 不惜身命で正法を護持する者を、徒党を組んで迫害する悪侶──今では、日顕宗のことにほかならない。
 日亨上人は、「空疎な軟弱な稀薄な信仰の持主は、大事に大事に深山幽谷に封じ込めて置くと、腐敗することもない。芋掘坊主としてをけばどうやら無難に過されるが、一度社会の都会の複雑な面倒な荒風に当つると早速正体もなく軟化する、堕落する、腐敗する」(『追考 聖訓一百題』)と指摘されている。
 今の宗門の姿そのものを予見されたかのごとき、お言葉である。
 涅槃経には、護法のためには武器を用いてもよいと説かれている。ただし、命を奪ってはならないと。
 現在では、邪僧を打ち破る「武器」は、彼等の邪義を、切れ味鋭く破折する、正義の言論である。また、社会正義のうえから、反社会的な悪行を徹底して追及し、糾弾することである。現宗門に誑かされている人々に、真実を教え、目を醒まさせていくことである。
 涅槃経には、「正法を護る者は無量の果報を得るであろう。この(過去世に有徳王として正法を護った)因縁によって、私(釈尊)は今日、自らを種々の相で荘厳して、不可壊(壊れない)の仏の身と成ったのである」と説かれている。
 極悪と戦う者は、極善となる。極善の功徳は、無量であり、金剛不壊の我が身となる。これが、釈尊そして大聖人の御約束である。
 大聖人は、「悪法を以て人を地獄にをとさん邪師をみながら責め顕はさずば返つて仏法の中の怨なるべし」──悪法をもって人を地獄に堕とすであろう邪師を見ながら、(その悪を)責めあらわさないならば、(その人は)かえって仏法の中の敵となる──と仰せである。
 人を地獄に堕とす邪師を責めなければ、我が身が仏敵となる、との厳しい戒めである。
 悪を責めなければ、自分が悪の味方となってしまう。ゆえに、中途半端ではなく、徹底して戦うしかない。
23  勝利とは何か。戦い続ける、その信心が、すでに勝利なのである。
 栄光とは何か。戦い続ける、その前進の姿にこそ栄光は輝いている。
 全国の同志の皆さまが、最高によきお正月をお迎えくださることを念願し、きょうの語らいとしたい。
 明年も、私は、さらに世界を、日本を駆けめぐりたい。
 (静岡県内)

1
22