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日蓮大聖人・池田大作

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関西最高会議 六万恒河沙の地涌の菩薩とは創価学会

1993.11.26 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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7  御書の上から、仏法の道理の上から、本来、法主とは御本仏への「正しき信心」を伝えるところに根本の使命があるはずである。
 「信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」と仰せのごとく、大聖人の仏法の「生命」は「信心」にある。「信心」がなくなれば「成仏」もなく、「仏法」も死に絶える。
 「信心なき法主」とは、仏法を殺す天魔なのである。
 大聖人は仏の入滅後に、仏のような格好を見せて法華経の世界広宣流布を妨げる者のことを、涅槃経にいうところの、「滅後の魔仏」と断じておられる。
 御本仏の御入滅後に、「仏の座」すなわち猊座げいざを盗んで世界広布を妨げているのは日顕である。日顕こそ「滅後の魔仏」であり、大魔なのである。微塵も妥協したり油断してはならない。妥協した分だけ、功徳を失う。油断した分だけ、魔は広布を侵食する。
8  戸田先生は「種種御振舞御書」の講義で、竜の口の法難の折の大聖人の悠然たる御振る舞いを拝しつつ、こう語られた。
 「私はありがたいことには、法華経を弘めるために、御本尊流布のために、さんざん悪口をいわれている。こんなありがたいことはないと思っています。
 このごろ景気がよくなったか悪くなったか知りませんが、あまり悪口をいわれない。心細く思っております。大聖人様は命を失おうとまで御覚悟あそばしています。末法の凡夫である私が、命はだれもとらないでしょう。とっても、もうからない。せめて悪口ぐらい、うんと(たくさん)いわれて大御本尊様へ御奉公したいものだと思っています」(『戸田城聖全集』第七巻)と。
 私どもも、広宣流布のため、さまざまな悪口を言われている。
 戸田先生は、大法のゆえに悪口を言われることは大御本尊への御奉公であると、語られている。
 ゆえに、謗法の者に悪口を言われることは信仰者の誉れである。
 私たちも、戸田先生と同じ精神で、″せめて悪口くらい、うんと言われよう″というぐらいの心の余裕をもって、堂々と愉快に前進してまいりたい。
 ますます関西が日本と世界の中枢となる時代が来た。「関西さえ盤石であれば、一切は盤石である」と重ねて申し上げ、きょうのスピーチとしたい。

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