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日蓮大聖人・池田大作

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大七十二回本部幹部会、教育・国際部総会… 「不屈の法戦」で「不滅の学会」が確立

1993.11.18 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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17  ただ一つ、きょう、指摘したいのは、宗門が本気で「法主に背けば謗法」と言うのならば、それは自縄自縛じじょうじばく(自分が作った縄で自分をしばること)になるだけだということである。
 欲で狂った宗門には、その道理すら、わからない。
 牧口先生も戸田先生も、すでに五十年前、「神札は受けません」と、真っ向から、時の法主に背いておられる。
 現宗門の理屈からすれば、これも謗法ということになる。もちろん、御書に、こんな邪義はない。
 今、宗門は、両先生の入獄をも、「謗法の結果」と主張している道理となろう。
 法華経には、法華経の行者が正法のゆえに権力や邪僧等から迫害されるとある。迫害こそ、法華経の行者の証明なのである。大聖人がそのことを身をもって教えられたことは言うまでもない。
 牧口先生、戸田先生もまた、御書の通りに信心を貫いたがゆえに、獄につながれた。謗法どころか、法華経のために身命をされたのである。
 (たとえば日亨上人は、『富士宗学要集』に、学会への弾圧を「昭和度の法難」として、その歴史を収め、たたえられている)
 それを称賛するどころか、牧口先生の殉教をも謗法よばわりしようという宗門の言い分が、どれほど仏法に違背しているか。どれほど無残な、人間性も知性のかけらもない集団であることか──。
18  何より宗門の主張通りならば、両先生を師匠と仰ぐ学会は、この五十年、ずっと「謗法の団体」だったことになる。
 そうなると、じつは、困るのは日顕宗である。戦後の約四十五年間、「謗法の者」から無量の供養を受けてきたことになり、すべて返還しなければならなくなるからだ。
 日興上人は、「遺誡置文」で、「謗法の供養を請く可からざる事」と仰せである。
 すなわち、宗門が「法主に背けば謗法」と言えば、その瞬間から、学会から受けた供養を全部返さなければならない。もちろん、ほとんどの僧侶が、自分たちの住んでいるところをも出ていかねばならないであろう。
 それができないのなら、日興上人の御遺誡に背くことになり、自分たちこそが「法主(日興上人)に背く謗法」となる。
 どちらにしても、「法主絶対論」によって困るのは学会ではない。こんな邪義を振りかざせばかざすほど、追いつめられるのは宗門であり、日顕であり、法華講である。
 日顕宗は、こんな簡単な道理もわからない。また、わかっていても道理も仏法も、どうでもいいのである。ただふんぞり返って、貪欲と、やきもちだけが最高峰。妻帯ひとつとっても、大聖人、日興上人の教えに背いていることは言うまでもない。また東アジアなど海外では、それだけで何を言っても信用されないという。その通りであろう。
19  正義は、歴史が証明する。どんなに策謀をめぐらし学会を陥れようとしても、真実は歴史に刻まれる。公正で客観的な目をもった学者等によって、一切の賞罰・正邪は、厳然と万年に残される。こう大確信をもって、私は申し上げておきたい。
 どうか、これからも、明るく楽しい人生を、希望に燃えた人生を、共々(ともども)にスクラムを組みながら前進しましょう。
 きょうは、ありがとう! 本当におめでとう。

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