Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第七十一回本部幹部会 「栄え光る年」へ、すべてを楽しむ大確信で

1993.10.15 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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24  学会の信力・行力こそが「御本尊=功徳聚」に感応
 今、日寛上人の御本尊に、宗門は″法主の允可いんか(許可)がなければ功徳はない″などと言っているが、そんなことが、御書のどこにあるのか。日寛上人の教えのどこにあるのか。
 反対に、大聖人は御本尊を「功徳聚」すなわち「功徳のあつまり」と仰せであり、「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」と断言しておられる。
 そして、日寛上人は、功徳は、御本尊の仏力・法力と、信ずる人の信力・行力という「四力」によって決まると仰せである。
 (たとえば「観心本尊抄文段」には「信力・行力を励むときは仏力・法力にり、即ち観行かんぎょう成就じょうじゅ」<文段集455ページ>等とある)
 御本尊即御本仏への信力と行力によって、偉大な仏力・法力が顕れ、功徳を得ることができるのである。″法主力″が必要などとは、どこにも言われていない。
 しかも、その信力・行力は、戦前からすでに創価学会にこそある。今は、いよいよ創価学会にしかない。
 学会は、大聖人、日興上人、そして日寛上人の仰せ通り、正しき信心と、正しき行動を、厳然と貫いてきた唯一の団体である。ゆえに学会にのみ御本尊の功徳は燦然と輝いているのである。
25  人生、いろいろなことがある。いろいろあるからこそ、また楽しい。何も起こらなかったら、ネジがゆるんだみたいな人生であろう。それでは、何の喜びもわかない。成長もない。
 生き生きと、全部、大聖人におまかせし、全部、御書におまかせして戦うことである。
 「大聖人直結」「御書根本」の創価学会にまかせきって生き抜くことである。
 戸田先生は、こんなふうに言われていた。
 「人間、だれかにだまされる。学者にだまされるか、政治家にだまされるか、世間にだまされるか、結局は、だれかにだまされるのだ。私は日蓮大聖人様にだまされる。仏様にだまされるなら本望じゃないか。いな、仏すなわち大聖人は絶対にだまさない。安心して大聖人に南無していきましょう。これが戸田の大精神です」と。
26  これからも私は、日本の各地を回るつもりでいる。どうか皆さまも、お元気で、日々、御本尊に自身の健康を祈り、楽しき一日一日、朗らかな一日一日を生きていただきたい。
 恥知らず、恩知らずの先輩たちが、たまにいるけれども、こんな連中は相手にしないで、「ああ、またバカなことやってる」と、悠々と見下ろしていっていただきたい。濁りきった命は変わりようがないから。
 御本尊が、すべてを厳然と裁きます。
 御書に仰せのように、末法は悪人が集まった世界であり、ヤキモチ焼きの世界で、いつも善人がいじめられる。
 ゆえに「しょうがない」と笑い飛ばして、楽しく、晴れ晴れと生きたほうが得である。そのように聡明な「知恵」を輝かせていくのがまた、「創価ルネサンス・栄光の年」であろう。
 それでは、かぜをひかれませんように。お会いできなかった方々に、よろしくお伝えください。ありがとう!

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