Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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神奈川・静岡最高会議 英国紳士の「精神的ふくよかさ」

1993.6.10 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

前後
10  氏は、「その国を真に好きになるには、人間的要素が不可欠」と述べられている。文化・教育のネットワークによって、「民衆」と「民衆」、「人間」と「人間」の出会いを積み重ねていく意義もここにあろう。
 「友情」を広げることが「平和」を広げることである──。これが、数学者でもあった戸田先生から受け継いだ私の信条である。
 総じて、政治には矛盾が、宗教には裏表が、経済の世界には格差がある。しかし、友情は、平等である。普遍であり、永遠である。
 二十一世紀を展望するとき、日本の未来も、世界に真の「友人」をつくっていくという姿勢が根本になければ、孤立し、時代から取り残されてしまいかねない。
 友情という「心の門」を開くことができれば、そこから多くの課題も解決の糸口が見いだされることであろう。
 現実に踏み出す″一歩″の尊さ。たとえ今は目に見えなくとも、その一歩が限りない未来性を秘めていることを、私は「行動の人間」として確信している。
11  氏のご尊父であられる新田次郎氏は、私も愛読してきた作家である。
 もう四半世紀前になるが、潮出版社の「週刊言論」に、新田氏が、名作「ある町の高い煙突」を連載してくださった。
 それは、村を襲う公害に対して、一人の青年が身を挺して立ち上がり、多くの人々を救っていく物語であった。今日の環境問題をも鋭く照射されていた。
 また、新田氏の代表作の一つ「芙蓉の人」は、多くの婦人部の方が愛読された。氏には聖教新聞のてい談にもご登場いただいた。いささかの気取りもなく、年配のご婦人をいたわりながら、闊達な語らいを広げてくださった。
 また、お母さまの藤原てい女史も、聖教文化講演会で、何度も素晴らしい講演をしてくださっている。感謝にたえない。
 「山の峰に咲く美しい花を得ようと、道なき道を一人で登って行く」──研究にかける氏のロマンの登攀が、更なる栄光に包まれゆかれんことを、私は願い、思い描く。そして、ご家族のいよいよのご多幸とご健康をお祈り申し上げたい。
 最後に、ますます「素晴らしき神奈川」を、ますます「偉大なる静岡」をと念願している。
12  退転者の原因は明らか
 最後に、神奈川、静岡の友のいっそうの幸福を念願し、一言申し上げたい。
 立派な信心を、まっとうした人は、立派な「人格」と「良識」をもった、「水の信心」の人である。
 反対に、退転し反逆していった者たちの多くは、次のような黒い原因があった。
 (1)幹部、議員になりたかった、という名聞名利があった。
 (2)慢心強く、増上慢強く、正論を聞き入れる清くして大きい心がなかった。常に自己の我見と我欲にとらわれていた。
 (3)正しい信心の在り方、人生と生活の在り方について忠告されたことに対し、怨嫉し、忠告してくれた人を恨み、去っていった。「正しい世界」にいられなくなって去っていくのである。
 (4)社会的地位や名誉を鼻にかけ、まじめに広布にいそしむ学会員を軽視して、最後は皆からバカにされて去っていった。
 (5)組織の地位を利用し、金銭問題または女性問題を起こし、多くの人々から批判され、非難されて、いられなくなっていった。
 (6)幹部になって、威張り散らして、皆からわれる。また幹部になって、明快な指導ができず、皆から軽(けいべつ)される。幹部でありながら、一家の生活はだらしがなく、また見栄(みえ)にとらわれて、多くの人々から非難され、いられなくなっていく。
 去っていく人は、去っていってもらった方が、和楽の世界は清らかになっていく。これは、皆さま方が体験し、ご存じの通りである。
 神奈川・静岡は、広宣流布ひとすじに生きる、「良き心」の「良き同志」の「良き集い」であっていただきたい。

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