Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第六十六回本部幹部会、婦人部幹部会、中… 「私は負けない 友のために戦う」

1993.5.26 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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16  日蓮大聖人は、厳しく、こう仰せである。
 「建長寺・円覚寺の僧共の作法戒文を破る事は大山の頽れたるが如く・威儀の放埒なることは猿に似たり、是を供養して後世を助からんと思ふは・はかなし・はかなし」──建長寺や円覚寺の僧たちが作法(仏事を行う作法)や戒文(出家が守るべき戒律の条文)を破っていることは、大山が崩れたようなものであり、威儀(出家としての振る舞い)のふしだらなことは猿に似ている。この僧らを供養して、後世を助かろうと思うのは、はかないことである。はかないことである──と。
 建長寺も円覚寺も、当時、勢力をもっていた謗法の寺である(禅宗の一派、それぞれ臨済宗建長寺派、円覚寺派の本山)。その僧侶たちの″ふしだらな振る舞い″がどれほどひどかったか。
 それは「猿に似たり」──もはや「人間」のやることではないとの仰せである。大聖人は、堕落の僧侶を、痛烈に、また徹底的に弾呵されている。
 ″腐敗した悪侶には、絶対にだまされてはならない。庶民を苦しめる魔の存在を、決して許してはならない″──これが大聖人の御精神であられた。
 同じ「心」で、私たちは進みましょう!正法のため、民衆のため、日顕宗と徹底的に戦いましょう!
17  広布に生きる大福運は、一家、一族、国土を包む
 建治元年(一二七五年)五月、ある婦人が一枚の「かたびら(帷子)」を大聖人に御供養した。
 「かたびら」とは、裏地のない単衣ひとえで、夏の着物の一種である。
 これに対し、大聖人は、こう、たたえておられる。
 「たとへばはるの野の千里ばかりに・くさのみちて候はんに・すこしの豆ばかりの火を・くさ・ひとつにはなちたれば一時に無量無辺の火となる、此のかたびらも又かくのごとし、ひとつ一領のかたびら・なれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし」──たとえば、春の野の、千里にもわたって草が生い茂っている所に、豆つぶほどのほんの小さな火を、草一つに放ったならば、その火はたちまちに燃え広がって無量無辺の火となる。(あなたが供養してくださった)この「かたびら」も、そのようなものです。一つの「かたびら」であっても、法華経の一切の文字の仏に供養なさったことになるのです──と。
 ″豆つぶほどの火″であっても、草の野に放たれれば、一時に燃え広がっていく。「道理」である。それと同じように、たった一枚の「かたびら」であっても、「法華経の六万九千三百八十四の文字の仏」に供養したことになる、と仰せなのである。「一枚の衣」に対してさえ、大聖人は最大に称賛されている。
 いわんや学会がどれほどの御供養をささげてきたか。日顕はその学会をたたえ守るどころか、取るだけ取って切り捨てたのである。大聖人の「御心」も知らなければ、「御書」も読めない証拠である。「信心」のかけらもない。大聖人の仏法を、ただ盗み、利用しているだけなのである。この御文一つを拝しても、日顕宗の大聖人への師敵対はあまりにも明らかである。
18  大聖人は、さらに仰せである。
 「この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも・をよぼしてん、まして・わが・いとをし最愛と・をもふ・をとこは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし」──この功徳は、あなたの父母、祖父母、さらに限りない多くの衆生にも及ぼされていくことでしょう。まして、あなたがいとおしいと思う最愛のご主人に、功徳が及ぶことはいうまでもないと、思っていきなさい。思っていきなさい──。
 これが法華経に供養する大功徳である。皆さまが弘教に励む、広宣流布へと進んでいく──その功徳がどれほどすごいか。父母、祖父母はもちろん、多くの人々にも厳然と及んでいく。それを強く強く確信することである。
 「確信」すれば、わが身はいよいよ無量の功徳に包まれていく。疑ったり、文句をいった分、せっかくの功徳を自分で壊してしまう。
 「心こそ大切」である。私たちは大聖人の仰せ通りの「心」で進みたい。その結果は必ず、この「一生」のうちに現れてくる。
 ともあれ、この御文に照らしても、「広布の大長者」であられる皆さまの福徳が、一家を包み、一族を包み、先祖も子孫も包み、さらに、国土までも包んでいくことは絶対に間違いない。
 妙法の大福徳は、原爆の犠牲者の方々への根本的な追善になっていると信ずる。
 最後に、わが敬愛する全学会員の皆さまのますますの「ご多幸」「ご長寿」「ご活躍」をお祈りし、スピーチを終わります。
 全国の皆さま、遠いところ、また長時間、本当にありがとう!気をつけてお帰りください。

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