Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3」記念関西ファミリー総会 一遍の唱題に広大の功徳

1993.5.4 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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12  また、学会活動は、広宣流布の活動であり、「化他の修行」である。それ自体、で「経」を読んでいる姿なのである。
 「我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり」との御文では、「経」とは「足」に当たる。「足」をはじめ全身で広宣流布へ「行動」していくとき、自分自身が妙法蓮華経の当体と輝いていく。
 大聖人は、末法は「自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」と仰せである。この「自行化他の唱題行」を正しく実践してきたのは、ただ創価学会だけである。
 日顕宗の僧侶は、「自行」もきちんと行ぜず、社会の中での不惜の「化他」に至っては片鱗もない。ただ大聖人を利用し、学会員の信心を利用し、私たちだけを働かせて、自分たちは永遠に享楽の生活を送ろうとしたのである。極悪の魔性の存在である。
13  「随方毘尼」──仏法は「その地」に応じて
 大聖人は、この御手紙の中で、「随方毘尼ずいほうびに」(随方毘尼とは、随方随時毘尼ともいい、仏法の本義にたがわないかぎり、各地域の風俗・習慣や、時代の慣習に反しないようにすべきこと)のかいについて教えられ、″その国・地域等に応じて、仏法を実践していきなさい″と述べられている。
 そして、現実の状況や生活、社会を無視した「強義ごうぎ」(強硬な教え)を、戒められている。
 たとえば、正座の習慣のない外国のメンバーに「イスはいけない」とか、その他、実情を無視して日本的なやり方、これまでの習慣などを押しつけた人間もいた。
 大聖人は、こうした「強義」は、「多くの檀那を損ずる事あり」──多くの信徒を失ってしまうことがある──と仰せである。
 まったく、その通りである。
 「無理」や「強制」で大勢の人をリードしていけるはずがない。長続きするわけがない。広宣流布どころか、皆、離れていってしまう。
 結論していえば、すべてにわたって、どこまでも「その国の幸福のため」「その人の幸福のため」に、一番よい道を考えてあげるのが、仏法の心である。それが、釈尊の心であり、大聖人の御心なのである。
 常識のある「柔軟な知恵」にこそ、仏法の光は輝いている。
 そこに真の「強盛な信心」はある。
 皆さまが、きょうも「素晴らしい一日」であることをお祈りし、私の話を終わります。
 「関西の息吹」「関西の魂」を全国、全世界に伝え広げていってください!
 きょうは、おおきに!

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