Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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リオ代表者会議 仏法は知恵、信心は行動

1993.2.10 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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5  「いてもらいたい人」になる努力を
 牧口先生は、よく、こう指導されていた。
 「世の中には三種類の人間がいる。いてもらいたい人、いてもいなくてもどちらでもいい人、いては困る人である。家庭でも職場でも、いてもらいたい人にならなければならない」と。
 家庭でも、職場でも、地域でも、皆から信頼され、尊敬され、好かれ、皆のために必要であり、欠かせない人になっていくことが、正法の信仰の証であり、広宣流布の前進なのである。
 大聖人は、四条金吾に対して、こう教えられている。
 「中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心かりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」──「中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、主君のためにも、仏法のためにも、世間に対する心がけにおいても、立派であった、立派であった」と鎌倉の人々から口々に言われるようになりなさい──と。
 当時、四条金吾は、讒言されて主君からうとまれ、所領を取り上げられるなど、苦難の最中にあった。
 大聖人は、苦境にあっても嘆くことなく、自己を磨き、人間として成長することこそ、真実の人間の生き方であり、仏法者の道である、と教えられているのである。
 世間から、いわれのない批判や圧迫がなされたとしても、紛動されることなく、人間としての正しい生き方を貫いていく。
 その人は、最後には、必ず人々の称賛と尊敬を勝ち得ることができる。
 大聖人は、また、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」──教主釈尊の出世の本懐は、人として振る舞う道を説くことであった──と仰せになっている。
 人間としての振る舞いの中に、仏法は脈動し、信仰の実証が現れるのである。さわやかな、人として立派な振る舞いこそ、正しい信仰の発露といえよう。
 皆さまは、よき信仰者であるとともに、よき国民であり、よき市民であり、よき社会人であり、よき隣人であっていただきたい。
 その振る舞いによって、人々から称賛され、尊敬され、信頼される存在になってほしい。その信頼の輪が広く、深く、輝かしく広がっていくところに「広宣流布」がある。
6  顕彰も皆さま方の人生の勝利の証
 皆さまの代表として、明日はブラジルの誇るリオ連邦大学から、名誉博士号を授与されることとなった。恩師の誕生日を荘厳することができ、感謝にたえない。
 また明後日は、ブラジル文学アカデミーで、東洋人として初めて在外会員に就任し、記念講演する予定である。
 すべて、皆さまの社会貢献への真剣なる祈りと、誠実なる行動の賜である。私は、これらの顕彰を、皆さまお一人お一人の人生の勝利の証として、また皆さま方が子々孫々にわたって、最高の英知を輝かせゆく一つの原点として、お受けしたいと思っている。
 先に訪問した隣国コロンビアにも、支部が誕生した。今、南米に新時代が到来した。いよいよ「常勝のリオ」の皆さまが、万年にわたる南米広布、そして世界広布の大いなる「模範」を示しゆかれることを、私は期待し、また確信している。
 皆さま方のますますのご健康、ご長寿、裕福、和楽を心からお祈りし、スピーチとさせていただく。

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