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日蓮大聖人・池田大作

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青年部幹部会、豊島・文京・台東合同総会… 宗教による意識革命で社会は向上

1992.12.13 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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14  「わが幸福」は「わが魂」の中に
 きょうは女性の方も大勢おられるので、励ましとして、また根本の指針として一言、申し上げたい。大聖人は、女性が真に目指すべきもの、目標は何かについて、次のように仰せである。
 「きさき皇妃になりても・なにかせん天に生れても・ようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波舎波提比丘尼のれちにつらなるべし
 ──皇妃になってもそれが何であろうか。(宮殿のような)天界に生まれても仕方がない。(それよりも、仏法を持つ女性は、女人成仏の模範である)竜女の後を継ぎ、摩訶波舎波提比丘尼(釈尊の養母で、女性として初めて釈尊教団に入った)の列につらなることができるのである(これほどの幸福はない)──と。
 これは、富木常忍の夫人へ与えられた御手紙の一節である。
 「きさき」であっても不幸な人は多い。「天界」のような境遇に暮らしても、いつかは衰えていく。また、自分が空虚であれば、何の充実もなく歓喜もない。
 社会的地位に幸福があるとは限らない。豊かな生活、結婚を夢見ても、それだけで幸福になれるほど人生は簡単ではない。
15  華やかな境遇や格好に憧れたり、うらやんだり──そんな浅はかな女性であってはならない。表面のきらびやかさに動かされるのは、しっかりした「自分」がないからである。「哲学」がなく、「信念」がなく、生きるうえでの「基準」がない。結局、流され、漂っていく人生となってしまう。
 人生の目的は「幸福」である。「幸福」は自分自身が感じるものである。自分自身が築くものである。自分自身の中に躍動するものである。ゆえに自分の「魂」「生命」がどうかが根本である。
 遠くにあるのではない。自分の「生命」の中に、「一念」の中に幸福はある。自分こそが最も尊いのである。だれをうらやむ必要もなければ、遠くに憧れる必要もない。
 この「自分自身」を最も輝かせ、可能性を豊かに開かせ、福運と、充実と、永遠の歓喜で満たしていくのが「信心」である。「広宣流布への一念」なのである。ここに真の幸福がある。
 宮殿のような広い家に住んでも、掃除だけでも大変である。私も質素そのものの生活である。宮殿は自分自身の生命の中にある。それを開けば、いずこにあっても幸福である。
16  大聖人は「女人成仏」の後を継ぎなさい、と。
 どんな地位の人より、富の人より、たとえ平凡であっても、使命深き学会員として、広宣流布に生きゆく人のほうが、どれほど幸せであろうか。その人の生命には「仏界」という真の幸福が脈打っているからである。
 勇んで「学会活動」している人こそ、一番の幸福な人である──こう結論して、きょうのスピーチを終わります。
 全国の青年部の皆さま、休日のところ本当にご苦労さま。一年間、本当にありがとう!年も私は、世界中、日本中を回ります。皆さま、よいお正月を迎えてください。

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