Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第四回第二東京総会 学会の勝利は「諸仏加護」の証明

1992.11.2 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

前後
7  「狗犬の僧」──″こっそり供養を貪る僧″のことを大聖人はこう仰せである。
 「供養」を、法のため、大聖人のため、「広宣流布」のため以外に使う僧侶は、「犬」であり畜生であると。
 さらに「是は未来には牛頭と云う鬼となるべし」──これは未来に牛の頭をした牛頭という鬼となる──と。人間ではなく卑しい餓鬼道に生まれる、というのである。
 また「こっそり」でなくとも、″堂々と″供養を受けながら、それを横領する僧は、どうなるか。
 「是は未来には馬頭と云う鬼となり候」──この僧は未来、馬の頭をした馬頭という鬼となる──と。
 未来に「鬼」となるということは、現在、かたちは「人」でも、生命は「鬼」ということである。
 どんなに偉そうに振る舞って、聖人ぶっても、正法破壊の彼らの本質は、「餓鬼」なのであり、さらには「地獄」の命なのである。
 反対に、ひとすじに「広宣流布」に生きゆく学会員は三世永遠に大功徳の人である。
 大聖人は、正しき信心の人は「釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」と仰せである。
8  「仏敵」と戦えば「仏の味方」
 また四条金吾へのお手紙には、こう仰せである。
 「法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養すれば必ず無間地獄に堕つ、五逆の罪人も彼を怨とすれば必ず人天に生を受く
 ──法華経の敵に供養すれば、どんな大慈大悲の菩薩であっても、必ず無間地獄に堕ちる。反対に、五逆罪の罪人であっても、その仏敵と戦えば、必ず人界・天界に生を受ける──と。
 「大慈大悲の菩薩」であっても、地獄に堕ちる罪──これが「仏敵を供養する」罪である。反対に仏敵と戦えば、大罪の人でも「幸福」になる。
 仏法はどこまでも仏と魔との「戦い」であり「勝負」である。感情論ではない。仏敵と戦わなければ、その人は仏敵であり、戦えば仏の味方である。中間はない。これが御本仏の仰せである。
 毎日、皆さまのご多幸、ご長寿、ご健康、そして無事故を祈っています。特に、交通事故には気をつけて、車を運転する方は、狭い路地など、くれぐれも安全運転を心がけてください。
 以上で、祝福のスピーチを終わります。総会、本当におめでとう。お会いできなかった方に、くれぐれもよろしくお伝えください。

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