Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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記念北イタリア代表幹部会 自分自身が妙法の当体、幸福の当体

1992.7.3 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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6  どうすれば勇気をもって生きていけるか
 <先ほど、SGI会長とともに唱題していると、自分の夢を実現させようという意欲と勇気がこんこんとわき上がってきました。どうしたら、いつでも、このような気持ちで唱題し、勇気をもって生きていけるのでしょうか>
 男性より女性のほうが、ずっと勇気があると思っておりますので、それは、こちらからお聞きしたいくらいです。
 たとえ一遍の題目でも、全宇宙に通じます。いわんや「心」「一念」を込めた題目は、一切を揺り動かしていく。一般的にも、同じ「愛しています」という言葉でも、心がこもっているか、口先だけかでは、全然ちがう。
 ともあれ、「我が身が妙法の当体なのだ」と深く深く確信した題目、「私は、仏の使いとして、妙法をひろめるために生きるのだ」と一念を定めた題目が、御本尊に響かないはずはない。宇宙に届かないはずはない。必ず自在の境涯になっていく。
 もちろん、何事においても、初めから″達人″にはなれません。さまざまな障壁を乗り越え、また乗り越え、進み続けてこそ、″達人″のごとき境涯が開いていく。
 信心も同じです。自分に負けて、決意が薄れていく場合もある。思いどおりにいかず、あせる場合もある。けれども、ともかく唱題し続けていく。願いが叶おうが、すぐには叶うまいが、疑うことなく、題目を唱え抜いていく。
 そうやって信心を持続した人は、最後には必ず、自分自身にとって、″これが一番よかったんだ″という、価値ある「最高の道」「最高の峰」に到達できる。すべてが喜びであり、使命であると言い切れる、「所願満足の人生」を築くことができる。それが妙法であり、信仰の力です。
 御本尊は、なぜ大切なのか──。それは、御本尊への「信」によって、私どもの胸中の本尊、仏界を開けるからです。
 この「御本尊」は、自身の「信心」のなかにこそある、と大聖人は仰せです。
 妙法の当体である自分自身、人間自身が大事なのです。その胸中の妙法をあらわすためにこそ、御本尊が、こよなく大切なのです。
 ゆえに、御本尊を利用して、人間を抑圧したり、下に見ることは、妙法と完全に反対の邪法になってしまう。
 大聖人は、妙法を信じ行ずる一人一人が仏であり、最も大切な存在であることを説かれています。そのまったく反対に、今の宗門では、一番偉いのが僧侶で、信徒は、僧侶に仕える存在としている。これほどの、人間尊厳の否定はないし、大聖人への大違背いはい、大謗法ほうぼうはない。すべては明瞭です。
7  「和楽の家庭」「和楽のミラノ」を
 ともあれ、信心の目的は、「楽しい人生」を生きることにある。
 そのためにも、ご主人は、奥さまを大切にしていただきたい。たまには贈りものの一つもたずさえて、誠意を示してはいかがでしょうか。また奥さまは、ご主人を叱るのを五回に三回は我慢し、ご主人を再起不能にまで追い詰めない思いやりを、お願いしたい。
 現実を離れて仏法はない。また「幸福」もない。平凡な、身近ななかにこそ、人生の本当の幸福もある。また、そういう現実生活に幸福の花を咲かせていくのが仏法であり、「創価(価値創造)」なのです。
 ミラノの皆さまをはじめ、本日お集まりの皆さまの、ご多幸を祈ります。どうか、世界一、仲の良い「和楽の家庭」「和楽のミラノ」を築いていただきたい。世界一、幸福な人生を楽しみきっていただきたい。
 私には、それ以外のお願いはありません。この心を申し上げて、本日の話を終わりたい。お世話になりました。ありがとう。本当にありがとう。

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