Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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イタリア文化会館での懇談会 君よ!自身の「永遠の都」を

1992.7.1 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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5  SGIは「四菩薩の跡を継ぐ」教団
 日達上人はまた、一九六四年(昭和三十九年)一月、「四菩薩の跡を継ぎ」と題された「新年の言葉」で述べられている。
 「観心本尊抄にのたまわく『当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す』と。
 末法においては折伏も摂受も共に大折伏の上においてなされ、一仏の境涯の内に帰するのであります。
 今や池田会長は四菩薩の跡を継ぎ、折伏の大将として広宣流布に進軍しております。
 私は僧として薄墨の衣と白五条の袈裟に身を托し、折伏の上の摂受によって、一切の宗教儀式の執行を主宰いたしております。
 共に、将に来たらんとする広宣流布を迎えるための準備は、一時もゆるがせにしてはなりません。
 宗祖日蓮大聖人の弟子檀那である者は、よろしくこの心を持って信心に励み、折伏に邁進して下さい」──。
 地涌の菩薩の上首である「四菩薩」の代表は、別しては大聖人であられる。また、「賢王」とは、総じて、力ある在家を指すと拝される。末法の大折伏の時には、「四菩薩」は力ある在家と現れて正法を弘めると示されているのである。
 広宣流布の時における在家が、いかに使命ある存在であることか。また、高貴な存在であることか。日達上人も「四菩薩の跡を継ぎ」とお述べのように、私どもは、御本仏直系の「賢王」の教団なのである。
 その「四菩薩の後継」を、迫害し、弾圧する。しかも、「折伏の上の摂受」として、本来、在家を守り、支え抜くべき出家の僧侶が、「破和合僧はわごうそう」の策謀をめぐらし、″切り捨てる″──まさに、御本仏への大反逆であり、大謗法である。仏法上、これ以上の極重罪はない。
 法華経に「閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉やしゃ鳩槃荼くはんだ等に、其の便を得せしむること無かれ」(開結六〇六㌻)と。
 「世界広宣流布」を阻もうとするのは「悪魔、魔民」等の類いであると。絶対に彼らに、「便を得せしむる(つけいるスキを与える)」ことがあってはならない。許してはならない。
6  ともあれ、幸福になるための人生である。幸福になるための信仰である。皆さまは一人残らず、幸福になっていただきたい。
 幸福の「永遠の都」は、どこにあるか。せんじつめれば、大聖人は、妙法を持つ我らが胸中にありと仰せである。私どもの生命の中に、輝く「幸福の宮殿」はある。その宝の宮殿を開きに開いていくことである。
 幸福は、形ではない。格好ではない。外見や立場、富だけで決まるものではない。「心」の奥底で何を感じているか、「生命」の奥に何が生き、何が支配しているか──そこに実質がある。
 最高の「幸福の都」を開く原動力は「信心」であり、「唱題」である。「唱題の人」「自分に勝つ人」こそが、人生を、三世を、楽しみきっていける人である。
 どうか一生涯、何があろうとも「広宣流布、万歳!」「SGI、万歳!」と叫びながら、世界一の団結で前進していただきたい。
 最後に、「イタリアに栄えあれ! イタリアの友に勝利あれ!」と、お祈りして終わります。本当に、ありがとう! グラッチェ!

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