Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第1回イタリア青年部総会 「人間再生の大地」で幸福の輪舞を

1992.6.27 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

前後
11  また、大聖人は次のようにも仰せである。
 「妙法蓮華経と唱うる時・心性の如来顕る耳にふれし類は無量阿僧祗劫の罪を滅す一念も随喜する時即身成仏す縦ひ信ぜざれども種と成り熟と成り必ず之に依て成仏す
 ──妙法蓮華経と唱える時、心の中の如来(仏の生命)が顕れる。また、この妙法の音声を耳にした者は、無量阿僧祗劫という長遠な時間に積まれた罪を滅することができる。(妙法を聞いて)一念(一瞬)でも随喜する時には、即身成仏する(その身のままで成仏する)。たとえ信じなくても、(妙法を聞いたことが)仏の「種」となり、それが「熟」して、必ず成仏できる──。
 どのような罪障も、妙法の力で、幸福の糧へと転換できる。広宣流布のために喜んで働こう──この一念が、そのまま成仏の境界を開いていく。
 猛毒は、ほんのわずかな量でも死に至らせる。放射能は、ほんの一瞬、浴びただけでも身体の機能に破壊的影響を及ぼす。そのまったく反対に、南無妙法蓮華経は、生命蘇生の大良薬であり、ただ一度でも縁すれば、永遠に消えない幸福への因を得ることになる。ひとたび太陽が雲から現れれば、全地表を照らすように、妙法は胸中に、永遠の幸の太陽を昇らせる。
12  大切なのは「広布へ向かう信心」
 恩師・戸田先生は、妙法、妙法といっても詮ずるところは「人」である、「法」は見えない、人と法は切り離せない、一体であると、よく言われていた。
 「正しき法」は、具体的には「正しき信心の人」にこそ脈打っていく。大聖人は「ただ心こそ大切なれ」と仰せである。
 いくら御本尊が正しくても、邪信であったり、狂信・盲信であったり、また、妙法を持ち、最も広宣流布に尽くしている我々を迫害するような聖職者や背信者には、絶対に功徳はない。御書に照らし、経文に照らして、厳然たる因果の報いを受けることは明らかである。
 身近な例でいえば、いくら立派な車があっても、運転する人が酒に酔っていたり、技術が未熟であったり、心が狂っていたりすれば大事故につながる。同乗した人間もまた、巻き添えになる。
 ゆえに大切なのは、「心」である。日蓮大聖人の御遺命である広宣流布に向かいゆく「信心」である。
 皆さまは一生涯、朗々と妙法を唱えながら、伸び伸びと、わが友に、わが家族に、そしてわが国土に、希望と勇気を贈っていただきたい。
 最後に、わが愛するイタリア青年部の、世界第一の偉大なる躍進、偉大なる人生、偉大なる栄光と勝利を念願して本日の記念のスピーチとしたい。

1
11