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日蓮大聖人・池田大作

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第五十五回本部幹部会、婦人部幹部会 晴れ晴れと″恐れなき人″が幸福の人

1992.6.2 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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23  日亨にちこう上人は、この御文について、こう述べられている。
 「人類のためにも、国家のためにも、社会のためにも、自己のためにも真剣であり、緊急であるべきが、信心である。その間隙かんげきあるとき、怠慢を生ずる」「願わくは、吾人われひと共に、常恒不退じょうごうふたい勇健ゆうごんの信心に住して、自在に法華経の名剣を自己のためにも、国家のためにも使い廻して、現当の福祉を謀り、外からも鬼に金棒のように恐れられし様にありたいものである」と。
 私どもは、常に一歩も退(ひ)かぬ、「勇健の信心」で、妙法の利剣を振るい、「極悪」の仏敵を打ち破り、すべてに勝利していきたい。
 また、「乙御前御消息」に、「いくさには大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵つわもの臆病なり」──戦いには指導者を魂とする。指導者が臆したならば、部下の兵はことごとく臆病になってしまう──と仰せのように、とりわけリーダーは、どんな状況に直面しても、決して臆してはならない。
 皆ではない。幹部である。人ではない。自分である。人にやらせるのではなく、幹部自身が「真剣」に動いた時、そこから「道」が開ける。広布の勝利への道、自身の成仏への道が──。
24  ポーランドの民衆詩人「団結せよ、そして自由を迎えよ」
 話は変わるが、ポーランドと言えば、多くの世界的逸材を輩出した「芸術」と「学術」の国である。先日(五月八日)、私は、同国のリプシッツ駐日大使と、日本とポーランドの文化をめぐって語り合った。そのポーランドが生んだ十九世紀の民衆詩人にミツキェビィチ(一七九八年〜一八五五年)がいる。「ポーランドの民族的伝統についての省察」という副題のついたステファン・キェニェーヴィッチの著『歴史かと民族意識』には「青春讃歌」と題する彼の詩が紹介されている。彼は、こううたい上げている。
   団結によりて力強く 理性により手燃え立ち
   いざ共に若き友よ 肩を組み輪をなして
   この地球を結びつけん……
   もろびとこぞりて 世界を新たなる軌道にのせん
   若者よ自由を迎えよ 太陽は汝等を救わん
 「団結」しながら、しかも「自由」──と。次元は異なるが、仏法では、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」──桜は桜、梅は梅、桃は桃、すももは李と、それぞれの当体を改めず(そのままの姿で個性を生かしきっていく)──と説く。
 それぞれの個性を最大に尊重して、最大に花咲かせてゆく。そして色とりどりの花々が、美を競い、香りを競いながら、全体として見事な調和の花園となっていく──ここに絢爛たる仏法ルネサンスの開花がある。広げていえば、国と国、またそれぞれの文化を、最大に尊敬し、対等・平等の心で友情を結んでいく──これが私どもの目指す人間主義の連帯である。
 大聖人の仏法は世界の仏法であり、宇宙の仏法である。ゆえに大聖人直系の私どもの舞台は世界であり、宇宙である。私も、全世界の広宣流布へ陣頭指揮で戦っていく。日本の同志の皆さまにも、一生懸命、お題目を送る決心である。どうか、それぞれが今いる立場で、朗らかに「前進」と「勝利」の指揮をお願いしたい。
 本日は、お忙しいところ、遠いところ、そして暑いところ、本当にご苦労さま。本当に、ありがとう!

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