Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第五十一回本部幹部会、アジア総会、沖縄… アジア第交流時代の開幕

1992.2.27 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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21  日寛上人はこう断言しておられる。
 「我等われらこの本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱えたてまつれば、我が身すなわち一念三千の本尊、蓮祖れんそ聖人なり」(観心本尊抄文段)
 我々ほど、御本尊を「信受」している者はない。妙法を自行化他じぎょうけたにわたって「唱えて」いる者はない。そして、日寛上人は、強信の人の身は、そのまま「一念三千の本尊」であり、「蓮祖聖人」すなわち日蓮大聖人とあらわれると仰せである。
 御本尊の本義を教えられた「観心本尊抄」の文段の結論(総結)のお言葉である。門家もんけであれば、だれびとといえども絶対に否定できない。否定することは日寛上人への冒涜ぼうとくであり、師敵対となろう。
22  凡夫の我が身に、大聖人の尊い仏の御生命がわいてくる。働いてくる。輝いてくる。ゆえに広宣流布に励む仏子、同志に対しては、「まさって遠く迎うべきこと、当に仏をうやまうがごとくすべし」(開結672㌻)との法華経の文のように、たがいに敬い合うのが、大聖人の仏法の根本精神である。すなわちSGIの精神である。反対に皆さまをいじめ、迫害することは、大聖人を迫害していることに通じる。これ以上の大謗法はない。第二回のアジア総会・音楽祭を目指し、「我らこそ、大聖人の直系の門下」と胸を張って進んでいただきたい。
 皆さまの、いよいよの、ご発展、ご健闘、そして団結を念願し、きょうの記念のスピーチを終わらせていただく。ありがとう!
23  胸中に″喜びの竜宮城″──第1回SGIアジア総会の記念交歓会
 新しい交歓会おめでとう。
 人間は何のために生まれてきたか。それは「楽しむ」ためである。
 人生の最後に、楽しかったことの総計が、苦しかったこと、悲しかったことよりも、多いか少ないか。喜びのほうが多い人は幸福である。勝利者である。栄冠の人である。反対であれば敗北の人生といえよう。
 楽しむための人生。しかし現実には、いろいろな悩みがあり、宿業もある。事件もある。それらをすべて、自分で「楽しみ」に変えていくための信心である。苦しみも、悲しみも全部、自分の一念で変毒為薬し、喜びに変え、また喜びに変えていけるのが一念三千の妙法であり、日蓮大聖人の仏法である。ゆえに勇気をもって、強く、真っすぐに生き抜いていただきたい。
 幸福は自分自身の権利である。自分で勝ち取るものである。人から与えられるものでもない。人をうらやむ必要もない。聡明に、「楽しみ」を自分で見つけ、自分でつくり、自分で広げていく。その「心」、その「境涯」に、「幸福」は躍動している。
 自分の中に「宮殿」がある。自分の中に「竜宮城」がある。その喜びの城を自分で開くことである。ここに人生の、そして仏法の究極もある。
 きょうは、本当におめでとう。ありがとう。

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